概要
福岡県を放送対象地域とする日本テレビ系(NNN/NNS)のテレビ単独局。略称FBS。リモコンキーIDは5。1969年4月1日に開局した福岡県初のUHF局である。マスコットはゆめんた。
もともと、八幡市(現在の北九州市)に本社を置いていたテレビ西日本(TNC)が日本テレビ系列としてあった(開局日は日テレ系列第1号の読売テレビと同じく1958年8月28日)。またTNCは朝日新聞も資本参加しており、福岡市にある九州朝日放送(NET系列とフジテレビ系列のクロスネット局)と合併しようとした。しかし朝日新聞がTNCから資本撤退したために合併を断念し、TNCとKBCの福岡と北九州の相互乗り入れが実現、そして山口放送が下関市に関門テレビ局(当初は日テレ系の徳山局と異なりNET系メインとした)を開局させ、読売新聞西部版が創刊された。
これによりTNCの親会社西日本新聞に重圧がかかり、さらに毎日新聞資本であるラジオ九州と西部毎日テレビジョンが合併して登場したRKB毎日放送が反発、そこに毎日側のUHFテレビ局計画に読売側が資本参加した。これに危機感を覚えたTNCと西日本新聞は日本テレビ系系列からフジテレビ系列に鞍替えするほうが得策だと考えるようになり、1964年10月1日にフジテレビ系列にネットチェンジし、KBCもNET系列になった。これで日テレ系列フルネット局が福岡から消滅した。ほぼ同時期に山口放送も徳山局、関門局ともに日テレ系列に一本化し、北九州市の一部もエリアとしていたため、福岡県における日テレ系列補完局としても役割を果たした。報道に関しては、日テレが福岡に九州分室を設置して取材を行った。
1969年4月1日、福岡初のUHF局である福岡放送が開局した。読売新聞と日テレにとって待望のフルネット局が登場したが、上記の影響で、福岡親局(鴻ノ巣山)と久留米中継局しか開局できなかった。北九州中継局は山口放送とのエリア調整に時間がかかり、5か月遅れで開局した。
1997年にCM間引きを行っていたことが発覚。これにより1年間日本民間放送連盟とNNSの会員としての活動停止処分を受けた。その結果、24時間テレビの募金活動ができず、代わりにくまもと県民テレビが担った。なお、この問題を取材したのは西日本新聞だった。