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概要編集

本名は伊藤 四三男(いとう しさお)。福島県安達郡本宮町(現本宮市)出身。


1933年(昭和8年)6月25日付で「伊藤久男」名義でリーガル(コロムビアの廉価レーベル)から「今宵の雨」でデビュー。


伊藤久男としての初めてのヒットは日中戦争(支那事変)を題材とする1938年(昭和13年)の「湖上の尺八」(2月20日発売)。慰問演奏で藤原義江に抒情的なバリトンを流行歌手として生かすことを奨められる。


その後、「暁に祈る」「白蘭の歌」「高原の旅愁」「お島千太郎旅唄」と連続してヒットを飛ばし、スター歌手としての地位を確立。作詞家の野村俊夫や作曲家の古関裕而とともに「コロムビア三羽ガラス」と呼ばれた。


歌手活動の一方、多くの映画に俳優として起用され、1939年(昭和14年)の松竹映画「純情二重奏」に流しの芸術家として、本人が主題歌を担当している1940年の「征戦愛馬譜 暁に祈る」には歌う兵隊として、さらに1942年(昭和17年)の大映映画「歌う狸御殿」には村の青年役として出演した。


終戦直後は、戦時歌謡を多く歌った責任感から疎開先に引きこもり酒に溺れ、再起不能とも言われたが、1947年(昭和22年)の松竹映画「地獄の顔」(マキノ雅弘監督)の主題歌「夜更けの街」でカムバック。その後は、「シベリヤ・エレジー」「イヨマンテの夜」「あざみの歌」「山のけむり」「君いとしき人よ」「数寄屋橋エレジー」「ひめゆりの塔」など様々なジャンルでヒットを飛ばした。


NHK紅白歌合戦に計11回出場した。(1952年から1964年の間)


1978年(昭和53年)に紫綬褒章受章、1982年(昭和57年)には第24回日本レコード大賞特別賞を受ける。


1983年4月25日、肺水腫のため西武沼袋医院に於いて死去、享年72。


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