概要
本名は「藪恵一」であり、阪神タイガースで初登板した1994年には姓名判断になぞらえ、登録名を「藪恵市」としたが、その後「藪恵壹」に変更した。
東京経済大学、社会人野球の朝日生命を経て、1993年のドラフト1位で阪神タイガースに入団。入団1年目からエースナンバーである「背番号18番」を背負った。
1994年には新人王を獲得。ファン投票でオールスターゲームにも出場した。火曜日の登板が多かったため、「火曜日の男」と呼ばれていた。しかし、前半素晴らしい投球を見せても、6回あたりから精彩を欠いて自滅することが多々あり、「勝負弱いピッチャー」というマイナスイメージが強くなってしまった。ファンや野球評論家の間で「藪病」と揶揄されることもあった。
2004年オフにFA権を行使して、翌2005年にオークランド・アスレチックスに入団。1年目に4勝を挙げたものの、同年に自由契約。その後サンフランシスコ・ジャイアンツに入団したが、2009年に戦力外通告を受け、ジャイアンツ傘下の球団AAA級フレズノと契約を結んだが、同年7月に解雇された。
翌2010年に日本に帰国し、千葉ロッテマリーンズの入団テストを受けたが、獲得は見送られた。その後東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受け、合格し、楽天に入団。中継ぎ投手として11試合に登板したが、シーズン終了後戦力外通告を受けた。当初、古巣である阪神タイガースから投手コーチ就任の打診の話はあったものの、藪本人は現役を続けようとしていた。しかし、藪はコーチ就任を引き受けた。ここで現役引退を発表した。
2011年に阪神タイガースの二軍投手コーチを務め、2012年からは和田豊の監督就任に伴い一軍投手コーチに昇格したが、2013年より再び二軍投手コーチに配置転換。シーズン終了後は阪神球団を退団し、現在は野球解説者を担当。