概要
南北両町奉行所、火付盗賊改方の同心の手先となって、捜査や捕り物の手伝いをする。
奉行所より十手を預かっているため、捜査、捕縛の権限もあった。
呼び名について
銭形平次などの一部作品では、岡っ引きと普通に呼ばれているが、本来岡っ引きという名称は蔑称で、公の場所で使われる名称ではなかった。
そのため、江戸では「御用聞き」 関八州(現在の関東地方)では「目明し(めあかし)」 関西地方では「口問い(くちとい)」や「手先」などと呼ばれていた。
また、岡っ引きの業務も地方によって違っていた。
業務について
江戸の場合
南町・北町奉行所には与力が各25騎、同心が各100人配置されていたが、警察業務を執行する廻り方同心は南北合わせて30人にも満たず、人口100万人にも達した江戸の治安を維持することは困難であったため、同心は私的に岡っ引きを雇っていた。
岡っ引きが約500人、下っ引を含めて3000人ぐらいいたという。
岡っ引きは奉行所の正規の構成員ではなく、俸給も任命もなかったが、同心から小遣いを得ていた。
同心の屋敷には岡っ引のための食事や間食の用意が常に整えてあり、いつでもそこで食事ができたようだ。
ただし、岡っ引きを専業として生計を立てた事例は無く、女房に小間物屋や汁粉屋をやらせるなど家業を持った。
大坂の場合
江戸の場合とは異なり、一般の町民が内密に役人から命じられて犯罪の密告に当たった。
犯人の捕縛に携わらず、あくまで密告専門であった。
十手について
一部作品では「房のついた十手」を持つ岡っ引きが描かれているが、史実では、房付きの十手が持てるのは同心以上の役職だけで、岡っ引きは房のない十手を持たされていた。
また、十手を携帯する際も見えるように帯に差すのではなく 懐などに隠し持っていた。
ちなみに…
銭形平次などの小説や劇画作品で、弱き者の味方として描かれている事の多い岡っ引きであるが、その実、表裏双方の社会に精通し、なおかつ顔が利く人材が求められたが故に、必然的に博徒、ヤクザ者、賊崩れといった悪党や無法者が、それまでの罪を不問とする条件で岡っ引きに抜擢される事が多く(勿論、表向きには現役のヤクザ者や賊党に十手を持たせる事は「二足のわらじ」として禁止されていたが、実際はほとんど黙認される事が多かった)、故に奉行所の威光を笠に威張る者や、悪徳役人の不正に加担する者、「取り締まり」という名目で市民や同業者に対して強請り等の恐喝行為を行う者など、本末転倒ともいえる事が起きるのも珍しくなかった(実際に岡っ引きが悪役側の手先として登場する創作品も少なくない)。
そのため、度々岡っ引きの使用を禁止する御触れが出された。
また、その立場上、盗賊等の犯罪者からは恨まれており、岡っ引きが何らかの罪を犯して牢屋敷に収監された際は度々殺害される事もあった。
また、幕末では安政の大獄の際に攘夷志士捕縛の際に活躍した多くの岡っ引きが天誅の対象にされ、岡田以蔵らによる岡っ引き『猿の文吉』暗殺事件などが起こっている。
岡っ引きが登場する主な作品と名前
・銭形平次 ご存知親分
・鬼平犯科帳 鉄砲町の文治郎や仙台堀の政七などが登場
・剣客商売 四谷の弥七や文蔵などが登場し、主人公等を助ける。
・水戸黄門、必殺仕事人、暴れん坊将軍 悪代官や悪徳商人の手先のヤクザものなど敵役として登場する事が多い。