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JF-17の編集履歴

2020-01-01 16:35:16 バージョン

JF-17

じぇいえふじゅうなな

中国とパキスタンが共同開発した第4世代ジェット戦闘機で、21世紀の開発にしてはステルス性を備えない等、時流にあえて逆らっている。その分価格は安く、21世紀になって新造機導入を目指す国では注目を集める存在でもある。なお、JF-17「サンダー」とはパキスタンでの型番・愛称であり、中国ではFC-1「梟龍(きょうりゅう:小さな龍の意)」と呼ばれる。

JF-17(FC-1)開発計画前史

J-7後継機問題

MiG-21は第2世代ジェット戦闘機でありながら、格闘戦ではF-4など第3世代戦闘機にも全く引けを取らない戦闘力を秘めていた。ベトナム戦争では性能に優れるアメリカ機相手に様々な戦術を駆使して立ち向かい、ベトナム空軍にエースパイロットさえ生み出した。他にもMiG-21は中東をはじめとして世界中で威力を示し、それまで最大速度一辺倒だったアメリカに「格闘戦重視型戦闘機」を要求させるという、画期的変革の立役者となった。


だが1980年代、ベトナムで散々煮え湯を飲まされたアメリカはF-15F-16といった新型機を生み出し、また新型中距離AAMとなるAIM-120「AMRAAM」も新開発して対抗した。

そうなっては格闘戦では強いものの、肝心のレーダー能力で劣るMiG-21には太刀打ちできなかった。MiG-23(のちにMiG-29も)などの新世代機にその座を譲り、戦闘機としては一線を退いていくのだった。


こうしてMiG-21は「格下げ」されてしまった訳だが、その後の改良では能力が拡充され、今度は「多目的に使える戦闘爆撃機」として返り咲いた。MiG-23よりも安価で維持もまだ易しい方とあってアジア・アフリカ等、世界中の空軍に輸出され、MiG-21は東側世界に大きな勢力を築いた。


MiG-21はソビエトだけでなく、チェコスロバキアやインドで、そして中国でも生産された。

とりわけ中国は初期型に準じた「J-7」を生産していたが、本家MiG-21が旧式化したのなら、こちらも旧式化したと見るのは当然だった。J-7は本家に12年遅れる1967年から運用が始まったが、それからわずか10年で次世代の後継機を探さねばならなくなったのである。


その能力拡充を目指した戦闘機にはJ-8を開発していたのだが、これが全く上手くいっていなかった。そこで1980年代、J-7を基に西側諸国の技術を取り入れ、改良強化新型のJ-7を開発しようという「スーパー7開発計画」が持ち上がった。


当時の世界における中国と「スーパー7」

ところで米ソでは既に第3世代ジェット戦闘機が大勢を占めつつあった1980年代、その頃の中国はどうだっただろう。

中国は技術的に遅れている中でも努力を重ね、何とかJ-8を開発していたものの、初飛行後は電子機器などの開発に手間取り、まだ使ってもいないのに旧式化してしまっていた。

もちろん中国としては何とか世界の趨勢に遅れないように開発したかったのだが、「大躍進」に伴う混乱が後を引いて思うように事は進まず、概して上手くいってはいなかった。


そんな中国の状況を変えたのは、ベトナム戦争終結に伴う折衝の中アメリカとのパイプを得たことで、技術協力を得られれば世界最先端に追いつく目が見えてきた。

しかし長くは続かなかった。1989年の天安門事件で、中国共産党の「民主化」への態度を見て取ったアメリカ(並びに同盟国)は掌を返して、今度は制裁に乗り出した。

そして「スーパー7開発計画」は犠牲になった。実際の作業が進まない内に協力者が去ってしまい、計画は頓挫してしまった。


しかし中国は1991年、J-7の旧式化は目に見えた問題として、スーパー7開発計画を見直し、独自設計による存続を決定。これが「Fighter China-1」開発計画である。


パキスタンの危機感

アフガニスタン紛争で、パキスタンの果たした役割は大きかった。

パキスタンはアフガニスタンで秘密工作を行うCIAの前進基地となり、秘密裡に様々な介入を行った。

もちろん、タダで協力させた訳ではない。見返りにはF-16(当時は最新鋭)など、パキスタン政府には様々な恩恵がもたらされた。


80年代も後半に入るとインドではMiG-29の配備が始まり、パキスタンとしては対抗する新型戦闘機の登場が待たれていた。もちろん一番の有望株はF-16増備だったが、アメリカとの関係は核開発の影がちらつく程に悪くなり、その頃は運用寿命が尽きつつある空軍主力機の更新計画も立てられており、これが『プロジェクト・セイバーⅡ』である。内容は、同じくグラマンの手掛けるスーパー7計画で完成した機を導入する事だった。


しかし天安門事件以降、米中関係が悪くなると計画が放棄され、自動的にパキスタンの更新計画にも不都合が出てしまった。また、パキスタンでも秘密裡に行っていた核開発が明るみに出てしまい、こちらも対米関係は悪化してしまう。当然、F-16導入も召し上げである。

当座は中国から新型J-7(J-7PG)を導入して戦闘機勢力を補う事にしたが、将来的には更なる新型機が必要になってくるのは明らかだった。


アメリカとは離れてしまったが、かと言ってソビエトに助けてもらう訳にはいかなかった。ソビエトはインドを支援していたからだ。

という訳で、「新型戦闘機」で頼れる相手はカシミール地方絡みでの「敵の敵」中国くらいのものだった。

1995年、頓挫したスーパー7開発計画で残された中国とパキスタンは、FC-1開発に関わる覚書を交わし、ミコヤンからの協力も得て完成を目指すことになった。

資金負担は折半に決まり、両国はこうして責任をそれぞれ二分して取り組むのである。


サンダー(もしくはシャオロン)誕生へ

中国編

西安飛機ではJ-7の後継としてJ-10、そして本機JF-17(FC-1)を並行して開発しており、これはおそらく新技術に対する「冒険」「保険」の意味合いがあったものと思われる。

(今でこそ上書きされてはいるが、J-9~J-13は全てモノにならなかった過去がある)

前述のとおりスーパー7計画が基になっているので、あえてJ-7から外れた設計にせず、能力拡大を狙わずに堅実に収めたかったのだろう。


といってもそれはあくまで「J-10と比べて」というお話で、これまでのJ-7とは「ちょっとした改良」どころではない位に手が入っている。

目立つ部分では主翼がクリップドデルタになり、翼端に短射程AAMのランチャーを追加。

MiG-21では翼端にランチャーを追加すると、この過流が尾翼に不規則振動を及ぼしてバフェッティングを生じたというので、当然尾翼も主翼との位置関係も含めて変わった。

尾翼も主翼に近づいて台形のような形状になり、垂直尾翼などはJ-7(MiG-21)の見る影もない別物である。


総合的にはF-16、どちらかというとF-20のような恰好になったが、ただ「切った貼った」しただけでは飛行機は飛ばないので、これは原型に囚われずに設計しなおしたと考えたがいいだろう。


パキスタン編

パキスタンでは、機体は中国製でも、機体は中国製でも、電子機器などはすっかり西側メーカー製に交換して使うのが通例だったので、こうしたメーカーには既に「お得意様」になっていたのである。


要求仕様を示したところ、多くのメーカーから反応があった。

レーダー関連だけでも下記の通りである。

・輸出用RDYレーダーシステム:トムソン(フランス)

・パキスタン向けミラージュ3近代化改修計画からの流用:SAGEM(フランス)

・「ブルーホーク」レーダーシステム:GECマルコーニ(イギリス)

・「グリフォS7」レーダーシステム:FIAR's(イタリア)

また、エンジンも天安門事件の影響で全て提供が中止されていたが、クリモフ(ロシア)からMiG-29用のRD-33(正確にはギアボックスを移設したRD-93)を提供してもらえる事になった。


機体を構成する部品は揃い始めたかに見えたが、1998年にパキスタンが核実験を強行すると経済制裁が強くなり、特に電子機器は揃って「召し上げ」にされてしまった。18か月のたたら踏みの挙句、設計作業は機体と電子機器と別々に進められることになった(電子機器は中国担当へ)。とにかく、これで機体にまつわる開発は再開できるようになり、2002年には試作機の製作が始まっている。


1号機の電子機器は「締め上げ」を受けていた事もあって、中国国産の機器が多く搭載されていた。

これは従来のような西側製電子機器を望んでいたパキスタンにとって、いきなり使った事の無い機械を押し付けられるようなものだったので換装したかったのだが、結局は調達に失敗して中国製機器を使う事になった。

(DCS:JF-17では、コクピット内音声には英語に加えて中国語も実装されているが、輸出専用機なのに中国語が入っている理由はコレ)


パキスタンでは、特にエンジン寿命の短さを嫌ってロシア製エンジンの導入を希望したが、ロシアは敵国インドにも兵器を供給(しかも中パどちらよりも手厚く)する関係上、西安飛機では改めて中国製エンジンの提案も行っている。

現在はWS-13(ライセンス生産版RD-33)を搭載した実証機を制作し、中国製エンジンを売り込んでいる。


JF-17(FC-1)とは

前述のとおり、元々はJ-7の能力拡充を図った開発計画であった。

しかし現状の形態からみて、おそらくFC-1開発計画に刷新され、今や「全く新規に設計された別物」と見做しても差し支えないだろう。

その変貌ぶりは多岐にわたっており、変わっていない場所を探すのが難しい位になっている。

最も最後に導入されたJ-7PG(諸元にはJ-7Eの数値を引用)のデータを参考に解剖していこう。


サイズ(全長・全幅・全高)

J-7E:13.9m×8.3m×4.1m

JF-17:14.9m×9.4m×4.7m


となっており、全ての寸法において1.1倍程度拡大している。翼面積もJ-7:24.88 m2にJF-17:24.43 m2と、これはやや縮小(=翼面荷重は増大)。

JF-17では新たにLEXが導入されており、空力では世代の差を見せつけている。


重量関連

・空虚重量

J-7E:約5300kg

JF-17:約6400kg


・燃料搭載重量

J-7E:約1900kg(「燃料搭載量:2,385 ℓ」とあるため、大まかにケロシンの比重で計算)

JF-17:約2300kg


JF-17では空虚重量は約2割増(1.1の二乗は1.21なのでサイズ拡大分相応)。

燃料もこの割合に準じる。


エンジン

J-7E:WP-13Fターボジェットエンジン(44.1KN:ドライ 64.7KN:AB時)

JF-17:クリモフRD-93ターボファンエンジン(49.4KN:ドライ 85.3KN:AB時)


特にアフターバーナー使用時の向上が目覚ましい。

今回一番のトピックであるエンジンはMiG-29用RD-33の派生型で、ギアボックスを底部に移設したのが最大の相違点とされる。

ただしRD-93は耐用期間が短めなのが欠点で、最新のRD-33MKが4000時間に達するのにRD-93は2200時間程度といわれている。



初飛行、配備から実戦(?)へ

初飛行は2003年8~9月にかけて中国で行われた。

その後は試験飛行であぶりだされた問題の解決を試みて設計を変更し、2006年にはLEXやエアインテイク等を再設計した4号機が初飛行を遂げる。テスト結果は良好だったようで、その後生産される機はすべて4号機規格に沿うものとされた。


安価な戦闘機として中小国からも注目され、2019年にはミャンマーへの輸出に成功している。


参考

FC-1

CAC/PAC_JF-17_Thunder

Klimov RD-33


Chengdu J-7

List of Chengdu J-7 variants

J-7

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