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J-10

じぇーてん

現在、J-7の後継として完成した主力の戦闘機で、高機能だが高価なSu-27(J-11)を補う意味でも調達が進む。開発や技術の詳細は現在も明らかではないが、おそらくF-16に並ぶ程度の能力があるものと推測される。本国ではJ-10「ヴィゴラス・ドラゴン(猛龍)」、輸出名にはF-10「ヴァンガード(前衛)」、NATOコードネームは「ファイアーバード」の名が割り振られている。
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愛称は英語で「ヴィゴラスドラゴン」と名づけられているが、これは「活発な竜」くらいの意味になるため、ここでは趣味により本国での「猛龍」という愛称を使う。


『ちくわ戦闘機』からの脱却

J-7の誕生

共産主義対決!:中国vsソビエト

ことの始まりは1956年、朝鮮戦争が休戦となり、共産主義の「その後」が問われていたころ。

党大会にてフルシチョフがスターリンを批判し、中国共産党とイデオロギー対立が始まった辺りにまで遡る。中国とソビエトの関係は以降ギクシャクしたものになり始め、しかし技術的にはまだまだ遅れをとっていた中国は、なんとか宥めながらも技術の吸収に取り組んでいた。


が、1960年になって中国共産党は「レーニン主義万歳(これは内容を示したわけではなくそういう名前の論説)」を発表し、ここに対立は決定的となり、中国へ技術指導を行っていた技師団は急きょ帰国させられる事になってしまった。翌1961年、MiG-19に引き続き、MiG-21のライセンス生産も許可されるようになるが、指導に技師は派遣せず、なんと本当に図面と見本だけを送り付けるというイヤガラセ同然のものだった。


「うわぁ、どうしようコレ・・・」

当然、困ったのは中国側である。

当時の中国の工業技術ではとうてい作れない品だけ渡され、「どうやって作るのか」等など他一切質問もできないことになってしまった。工業技術の向上に時間が必要だったのは当然のこととして、しかもそれを文化大革命のさなかに求められたのだから、技師たちの困難は想像するに余りあるだろう。当然ながら就役は遅れに遅れ、それを補うためにJ-12などが急きょ設計されたが、肝心の技師は「下放」により放逐され、また「資本主義的な設計」(エリアルールの事だったらしい)

も嫌われて、結局使い物になるようなものにはならなかった。


結局はJ-7の開発を進めるより他になかった。1965年、最初の試作J-7が完成し、1966年に初飛行を遂げる。この時点で本家よりも11年遅れていた。一説には北ベトナムに送られる前のMiG-21を無断で持ちだし、解析したともいわれる。そこまでして苦心の末実用化されたJ-7だったが、ダマンスキー島事件(1969年)ではMiG-23には手も足も出なかったという。しかし、中国にはこのJ-7を改良して配備していく以外に道はなく、以降遅々としたものでありながらも地道な改良を続けていくことになる。


独自に進めた結果と海外への嫁入り組

また、J-7は輸出も盛んに行われ、中東やアフリカを中心に多くの国家に向けて輸出された。なかでも一番のユーザーはパキスタンであり、F-7P「スカイボルト」として多くの機を就役させている。推力対重量比も良くて評判も上々であり、パイロット曰く『局地防空用戦闘機としては最高の戦闘機である』とも評価されているのだとか。


1990年には空力的な部分も含めた本格的な再設計(主翼のダブルデルタ翼化)を行ったJ-7Eが登場し、本国に配備される一方、これもパキスタンは採用している。が、いくらなんでも21世紀にもなろうとしている頃に、ターボジェットエンジン搭載で積載力も1.5tに満たない戦闘機など魅力的である訳もなく、これ以上の発展も限界で、まったくの新型戦闘機が必要なのは明らかだった。


フィンバック(ナガスクジラ)来たる

7から8へ

当然、いつまでもJ-7に満足している訳にはいかない。

そこで、J-7開発を進める一方、今すぐできそうな性能向上案として、大型化してエンジン双発化を図ったJ-8が計画される。この計画は1965年から開始されたといわれており、ならばJ-7初飛行の直後から進められていた事になる。1969年には試作機が完成し、試験が始められた。


が、J-8開発は空力的な問題や、エンジンの信頼性不足などで大いに足踏みを続けることになった。結局、最初の生産型J-8Ⅰは干支が一回りするころ(1981年)に完成し、電子機器などの完成にはさらに3年の月日を要した。しかも、完成したのは周回遅れもいいところの「新品の骨董品」であった。


J-8.1(?)

そこで、J-8にも本格的再設計が行われ、新型レーダーのためにエアインテークを機体左右に移設したJ-8Ⅱ「フィンバックB」へ発展する。もともと、J-8は貧弱なレーダーFCSが弱点であり、この解決のためレーダーFCSにAPG-66を搭載すべくアメリカのグラマン社と共同開発を行うことになった。他にも兵器などは西側の技術が大いにとり入れられ、すっかり最新型になるはずだった。


が、1989年、天安門事件(中国ではとくに「六四天安門事件」と呼ばれる)が起こり、民主化運動は一度絶滅の憂き目にあってしまう。無論、民主主義国家たるアメリカなどはこれに反発し、一度は約束した技術協力をすべて反故にして撤退してしまう。

もちろん、やりかけの仕事はそのままにして。


またも困難に立たされたのは中国(の技師)であった。

一度は開発を続けようとしたのだろうが、いまだ習得していない技術なのでは出来る訳もなく、またも独自技術で補うことになる。もう性能が悪いのはどうしようもなかった。


が、1991年のクリスマスにはソビエトが崩壊し、以降は技術拾得(あながち誤字でもない)も目的にロシアへ接近していく事になる。ここで得られた成果や、あるいはフランスやイスラエル等から買った技術(完成品)を取り入れ、J-8Ⅱは少しづつ実力を認められるようになっていく。


現在では生産も終了したが、これからも長く続く現役期間に備えて能力拡充にも余念が無い。

最新の現役型J-8Fは2000年に初飛行しており、グラスコクピット仕様になる等、21世紀の戦闘機に相応しい最新型へと変貌を遂げた。


ロシア技術による輸出型の開発も進められており、1996年にJ-8ⅡMが公開され、2004年には国産の電子機器で更なるアップデートを遂げたJ-8ⅡM(2代目)が公開された。2008年、J-8Fに準じる輸出型J-8Tが、主にイラン向けに売り込まれたとされるが、結局何れの型も輸出に至らず、J-8の売り込みは失敗に終わった。


「猛龍」が生まれるまで

国を超えたそっくりさん

といっても、現在のJ-10「猛龍」が生まれるまでには紆余曲折があったようだ。

J-10の型番はJ-7開発が難航している頃に生み出された一連の試作機にもあって、だとしたら他の機が次々に放棄される中でも、開発作業が続けられていたようである。


それでも技術的な遅れは否めず、どうやらイスラエルの技術により「テコ入れ」が図られたと言われている。実際、J-10は1980年代にイスラエルがいいところまで試作したIAI「ラビ」戦闘機に類似しており、また両国とも寄る辺ない国同士、資金で技術を提供したのではないかと推測された。


疑惑、相変わらず?

が、この疑惑は中国・イスラエル両国により公式に否定されている。

大いに怪しいところはあるが、それが本当に事実かどうかはさておき、この否定にも一理はある。そもそもカナード付きデルタはユーロファイターラファールグリペンにだって採用された、80年代当時の世界的流行ともいえるものである。翼形が似ているだけでコピー呼ばわりはいかがなものだろうか。「ラビ」のようなF-16の面影もないし。


また、中国はJ-7の開発遅延に伴って、別の戦闘機開発にも取り組んでいたが、この中でもJ-9はJ-10に通じるカナード付きデルタとなっている。能力向上を狙って双発化したのがJ-8で、J-9は単発のままとされていたようだが、さすがに形態もそのままでは性能向上は難しいと思われた結果、まず純デルタ翼が思案され、次いでカナード付きデルタ翼となったのだろう。


J-10はこれを引き継ぎ、最初からカナード付きデルタとされたのなら似ていても道理にかなう。

ただしカナード付きデルタの利点は、エンジンの出力が十分高ければいくらでも取返しがつくものでもあるため、中国の場合はエンジン技術の遅れによるものと思われる。

事実、JH-7の開発の遅れは「スペイ」エンジンにまつわるものだし、パキスタンによる中国エンジンへの反応はそれを裏付けるものであろう。


エンジン

J-10Bまではロシアから輸入したリューリカAL-31F(Su-27系と同じもの)が搭載されていたが、これはもちろんロシアの都合にも導入が左右されるため、中国では独自のWS-10開発を進めていた。


もともとWS-10は80年代から開発が始まっており、これは当時購入したCFM-56を基に進められた。途中からはAL-31運用で得られた知見を加えており、最新型のWS-10BではAL-31F[Ser.3]を上回る130KN級の出力に至った。


主な派生型

総生産数は2020年時点で468機とされており、現在では約500機が現役に就くものと見られる。パキスタンでも、インドラファールに対抗してJ-10最新型の導入が始まっている。

J-10A

最初の生産型で、レーダーFCSには国産品のKLJ-3を装備する。

海軍航空隊にはこの機を基に、J-10AHが開発された。


J-10S

J-10の複座練習機型。飛行訓練が主任務だが、空襲や偵察などいちおう戦闘にも対応する。

海軍向けにはJ-10SH。


J-10AY

曲技飛行隊「八一飛行表演隊」向けの改造機で、派手な塗装が施されているほか、翼端近くのパイロンにカラースモーク発生装置が装備されている。


J-10B

機体の設計が一新され、とくに目立ったところでは、機首の設計がAESAレーダー(メーカー発表によれば中身もAESAレーダーであるとの事だが、続くJ-10CがAESAレーダーなのもあり、実はPESAレーダーでないかとも目されている)に対応したものになり、エアインテイクにはDSI(ダイバータレス超音速インレット)を採用。コクピット前方に赤外線捜索追尾装置の突起、垂直尾翼端にはレーダー受動警戒装置・ECM用のアンテナが追加された。

エンジンには折からテストが繰り返されていたWS-10ではなく、ロシア製のAL-31FN[Ser.3]が採用されている。J-10Cに続く「繋ぎ」の意味が強かったものと思われ、生産は2年程度(50機程度が完成か)と、比較的早期に終了した。


ダイバータレス超音速インレット(DSI)

飛行中の航空機は気流に包まれているが、この気流はすべて一定のものではなく、航空機の表面にそって流れる気流は機体との摩擦で若干「勢い」がそがれたものになっている。こうした気流(境界層流という)はエンジンにとって正常な圧縮の妨げになるため、できれば吸わないほうがいい。


従来はこうした気流を分離するため、エンジンの空気取り入れ口に「境界層流分離版(ダイバータ)」を設置していたが、ステルス技術・対ステルス技術が発展するにつれ、この部分のレーダー反射断面積(RCS)も無視できないようになってきた。


そこで生まれたのが空気取り入れ口の寸前に「ふくらみ」を作る方法で、この部分が境界層流を押しのけることにより、境界層分離板の役割を代替できるようになる。これがダイバータレス超音速インレット(DSI)である。「ふくらみ」が垂直にレーダー波を返すことはなく、またエンジンのファンブレードを隠す役割も果たすため、ステルス性には大きな貢献を果たすといわれる。


J-10C

2019年の時点で150機以上が完成しているものとされ、現在も増産中と見られる現行型。

J-10Bから直接発展したような機で、レーダーFCSにはAESAレーダーが採用された。電子機器やコクピットが新型に更新されるとともに、PL-15中射程AAMやPL-10短射程AAMなど、更なる新型兵器にも対応。マルチロール・ファイターとしてますます磨きがかかった。


生産途中から国産の新型WS-10エンジンが導入されるようになり、輸出への妨げは無くなった。最初の導入国はパキスタンであるとされ、そのパキスタンは2022年に軍事パレードでJ-10C輸出型(J-10CP)による展示飛行を披露した。その導入数は36機といわれ、状況次第では増えるとされる。


J-10D

現在開発中とされる発展型。エンジン・電子機器の改良を中心とし、一説にはコンフォーマルタンク採用なども検討しているという。


関連項目

JF-17:同時期・同社にて開発された。競争試作には敗れたが、パキスタン等にて採用。


J-7:前任機。未だ現役に留まる機もあるが、順次入れ替えられていくだろう。

Su-27Su-35S:ハイローミックスのハイの方(その1)。本家本元であり、高性能。

J-11:ハイローミックスのハイの方(その2)。本家には及ばないながらも高性能。


F-16:中台海峡を挟むライバル。性能的にも競合する。


参考資料:「日本周辺国の軍事兵器」J-10・J-10B・J-10C

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