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森内俊之の編集履歴

2020-03-15 23:47:46 バージョン

森内俊之

もりうちとしゆき

将棋棋士九段。十八世名人資格保持者。羽生善治の永遠のライバル。通算タイトル獲得数12期。

概要

森内俊之は日本の将棋棋士。1970年10月10日。棋士番号は183。神奈川県横浜市出身。勝浦修九段門下(同門に広瀬章人八段)。日本将棋連盟専務理事(2017年~2019年)。いわゆる「羽生世代」のひとりで、羽生善治九段と共に1990年代なかばから2010年代前半まで将棋界の第一人者のひとりとして活躍した。

竜王戦は2組、順位戦はフリークラス(宣言)。


棋歴

1982年、第7回小学生将棋名人戦で3位。ちなみに、この時の優勝者羽生善治だった。

同年12月に6級で奨励会入会。1987年5月、四段昇段(プロ入り)。

1987年度、第22期新人王戦で棋戦初優勝(新人王戦はその後3回優勝している)。

1988年度・1989年度、第7回~8回早指し新鋭戦で2連覇を果たす。

1988年度、第7回全日本プロトーナメントでは谷川浩司名人との決勝三番勝負を2勝1敗で制し、全棋士参加棋戦初優勝。

1994年度、第53期B級1組順位戦で10勝1敗の成績でA級昇級と八段昇段を決める。

翌年、初参加の第54期A級順位戦では7勝2敗の成績を収め、羽生名人への挑戦権を獲得する(番勝負は1勝4敗で敗退)。

2001年度の第60期A級順位戦で8勝1敗の成績で、丸山忠久名人への挑戦権を獲得。結果4連勝で奪取。31歳にして将棋界最高峰のタイトルである名人を獲得した。規定により九段昇段。

翌年、名人位は羽生に奪われ失冠するが、同年行われた第16期竜王戦において、羽生竜王から4連勝のストレートで竜王位を奪取。また第53期王将戦おいても、羽生王将から4勝2敗(1千日手)で王将位を奪取。

2004年度の第62期名人戦でも、羽生名人から4勝2敗で奪取。これにより、羽生を王座の一冠へ後退させ、史上7人目の三冠王となった。

2007年、第65期名人戦では郷田真隆九段の挑戦を4勝3敗で防衛。通算5期獲得となり十八世名人の資格を獲得した。(羽生よりも先に手に入れる結果となった

2013年、第26期竜王戦において竜王9連覇中の渡辺明竜王から4勝1敗で竜王位を奪取。2度目の竜王・名人となった。

しかし、2014年度、第72期名人戦で羽生三冠から名人を4連敗のストレートで、第27期竜王戦で糸谷哲郎七段から竜王を1勝4敗で失冠し、無冠へと転落。しかし、第65回NHK杯将棋トーナメントで行方尚史八段を破り3回目の優勝を果たす。

その後、一時期勝率3割まで落ちるなど低迷。

2016年度、第75期A級順位戦で3勝6敗となり降級。直後にフリークラス宣言をした。病気等がない限り、2035年度までは現役の予定。

2017年8月、通算900勝を達成(史上12人目)。



棋風は鉄板流と呼ばれ、固い受けが特徴。 なお、カレーが好物。


余談

順位戦及び名人戦を得意とし、順位戦においては26連勝という記録を達成した。この記録は未だ破られていない。

森内が初めて名人を獲得した2002年度から羽生が佐藤天彦八段(当時)名人位を失冠する2016年度までの実に14年もの間、名人位にいたのは自身か羽生であった。

そして名人戦においてはあの羽生を3年連続で破るという快挙を成し遂げている。

というか、名人戦に限れば通算で羽生に勝ち越している。永世名人資格も羽生より先に取得した。

羽生もA級順位戦を9戦全勝して挑戦してきたものの、返り討ちにしている。(2012年)


関連タグ

将棋 棋士 名人 羽生善治 谷川浩司

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