概要
父は蘇我稲目。
敏達天皇、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代にわたる天皇に仕え、蘇我氏の全盛期を築き上げた敏腕政治家。
人物
主な業績は、高句麗・百済・新羅との交渉、それに伴う仏教の推進、自身の姪に当たる日本史上初の女性天皇である推古天皇を即位および聖徳太子をその摂政に立てた(これがきっかけで聖徳太子は馬子と合議して仏教奨励・冠位十二階・十七条憲法を制定することになり、遣隋使を派遣して隋の文化を輸入するにまで至った)。
聖徳太子と共に「天皇記」「国記」などの史書の編纂も行った。
聖徳太子との仲は良好なものであることをうかがわせる一方で、彼が推進した「天皇による権力の強化」を警戒していた。
聖徳太子が鬼籍に入った2年後、推古天皇に蘇我氏の本拠地で皇室の領地でもある葛城県の割譲を要求した。しかし、推古天皇は叔父である馬子に対して「親族だからほとんどの言い分は受け入れたが、こればかりは承諾できない」と断られた。
626年に亡くなる。
余談
名前からして女性を連想させるが、れっきとした男性である。
これは、当時の風習では気にされておらず、聖徳太子、小野妹子も同様である。