概要
高齢者、障害者、患者といった思うように体を動かせない者が円滑に生活できるように手助けする介護を仕事とする者。
後述するが、ほぼ全ての事業所がブラック企業そのものの状態であり、職員は人権を無視された奴隷に近い状態になっている。日本に存在する職業の中で最も悲惨。
専門資格は訪問介護員(ホームヘルパー)と介護福祉士。ただし、別に専門資格を取らなくても雇用側の理解を得られれば介護士にはなれる。一方で福祉施設側にはその運営のため一定数、介護福祉士を雇う事が求められている。そのため介護士の募集においては介護福祉士資格(あるいは訪問介護員など)を求められることが多い。
致命的な問題点
- 低賃金
- 基本的に生活が困難(自殺するレベル)になるかならないかギリギリ程度の賃金しかもらえない。元々の職務思想が(いきすぎた)ボランティア精神などの商業サービスとは対極にある部分から発祥となった業界であるため、自身の人生・自身の家族を犠牲にしてでも、自分よりもかわいそうな利用者を救う思想が常態化しており、自身の人生や生活を考えることそのものが非常識な事として常識化されている業界体質がある。
- 1990年代からの福祉改革やゼロ年代の小泉構造改革などを経て、業界は上述した体質が変わる事無く強制的に(悪い意味での)サービス業体質へと移行した。しかしこれは同時に措置費(公的補助金)の圧縮や必要書類と事務仕事の増大を生み出し、それまで補助金と経験則でなんとかやってきた施設を追い詰める結果になった。結果、その負担が末端の職員に向く事となった。
- 劣悪な職場環境
- 1990年代からの高齢社会の到来に伴い、高齢者に対する国の生活保障政策が行き詰まる可能性に直面した事で、この年代から介護保険の導入や医療保険改革など大規模な福祉行政改革が断続的に行われてきた。と同時に権利福祉の考え方がもてはやされ「福祉を利用することは当然の事」「(利用者は)金を出しているのだから(職員は)どんな理不尽にも文句を言うな。利用者相手なら殺される事も喜びである」とする、いわゆる悪い意味での「お客様は神様です」を肯定する福祉のサービス業務化への移行が盛んに叫ばれ実行され続けた。(これは介護士に限らず福祉関連業種全般、例えば保育士などにも言える事)
- 福祉の現場は利用者の「生活」に直結する。特に生活のサイクル挙動を観る介護士は、人間の生活の中の汚い部分に直面しやすく、しかもそれは24時間365日待ったなしの状況にある。そして利用者の側も、そうした部分の面倒を自分で見ることができないという事に対する見えないストレスを発生させやすい。その結果、上記した権利意識向上などの一件も相まって、介護士は利用者のストレス解消のサンドバッグにされる場面が往々にしてある。そして介護士にはその膨大に肥大化していくストレスを解消する場は与えられない。この事によって近年では介護士による利用者への殺人・傷害事件が増加傾向にある。そして世間からの目は更に厳しくなり、介護士は職業の一環としてストレスを貯め込むしかない社会的状況が加速している。
- 人手不足
- 以上の事からなり手は少なく慢性的な人手不足に陥っている。その状況は人手不足がよく指摘される飲食業よりも不人気とも言われる。その人手不足がさらに現場職員の負担を増大させ、利用者のストレスも加速させ、それがさらに職員を圧迫させる負のサイクルを生み出している。
これらのことから、多額の学費を支払って専門学校に通い、介護福祉士の資格を取得しても無駄とまで言われている。そもそもが福祉関連の資格を取ること自体が業界に「職業に対する意識が高い」と見なされるため、職場そのものから「サンドバッグにしても問題が無い人」という認識をされる可能性がある。
究極的な話として「介護士にカルネアデスの板は用意されない(許されない)」のである。この事だけはきちんと肝に銘じておいた方が良いだろう。
なお、2021年度から医療・福祉分野の資格取得のためのカリキュラムを一部共通化して、カリキュラムに1年程度の「基礎共通科目」を設置する計画がある。これは資格に必要となる専門科目を上乗せする“2階建て”のカリキュラム構造で、他の資格を所得する際1年短縮できることが可能になる。
対象は、医療系は正看護師、准看護師、理学療法士、作業療法士、視能訓練士、言語聴覚士、診療放射線技師、臨床検査技師。福祉系は社会福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士、保育士である。
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弁護士 - 介護職同様、学費や卒業後にかかる費用が莫大な割に、得られる収入が介護より少ないケースがある。