概要
生年……大永6年(1526年)
没年……永禄7年7月5日(1564年8月21日)
上田長尾家第6代目当主・長尾房長の長男として生まれる。上田長尾氏は、守護代の府中長尾氏(長尾景虎はこちらの出)と並んで越後国に枢要な位置を占めた。越後の守護・上杉定実と越後守護代・長尾為景(上杉謙信の父)が争った際に父・長尾房長が上杉定実について長尾為景を苦しめた事から、長尾為景は家督を長男・長尾晴景(長尾景虎の兄)に譲る際、天文6(1537)年に府中長尾家との関係を強化を目的として、娘の仙桃院を長尾政景と婚約させた。
政景は越後守護代の長尾晴景の「義兄弟」の立場を利用して勢力拡大を目論んでいたが、混乱していた越後を取り纏める力が無い長尾晴景に代わって越後の収拾に活躍した長尾景虎が脚光を浴び始めると、天文16(1547)年に府中長尾家家中で長尾晴景と長尾景虎との間で抗争が勃発した際に、政景は長尾晴景側についた。その理由としては、政景が晴景の妹・仙桃院を娶っていた事の他、上田長尾氏と対立していた古志長尾氏が景虎側だった事などからだと言われている。
しかし結果は天文17(1548)年12月に、越後守護の上杉定実の調停により、晴景は正式に景虎に家督を譲って隠居した。後に景虎は上杉定実の没後、定実に嫡子がいない事により、正式に越後の守護となるが、政景はそれを含め、景虎が家督を継いだ事に不満を持って景虎の出兵要請に応じなかったり、出仕を拒否するなど反抗の姿勢を示し、遂に天文19(1550)年に謀反を起こす。しかし逆に景虎の猛攻撃に逢い、翌天文20(1551)年に全面降伏する。
以後は配下の上田衆を率いて景虎の重臣として活躍、弘治3(1557)年に景虎が突然に出家する為、高野山に上ると言いおいて春日山城を出奔するという事件が起った時は自ら率先して景虎を説得して押し止めて復帰させたり、また景虎が出陣した時は本拠地である春日山城の留守役を務める等、様々な功を挙げている。
永禄7(1564)年7月5日、政景は坂戸城近くの野尻池(現在の銭淵公園内にある池と、湯沢町にある大源太湖の二説がある)で溺死した。享年38。これには、舟遊びの最中、酒に酔っていた為、誤って池に落ちて溺死した説、上杉謙信の命を受けた宇佐美定満による謀殺(『北越軍記』)、下平吉長による謀殺(『穴沢文書』)などの説があるが、真相は未だに不明。同船していた家臣の一人である国分彦五郎の母の後日談では、引き揚げられた政景の遺体の肩下には傷があったという。尚、国分彦五郎はこの事件で一緒に死んだといわれている。
政景が溺死したのは、宇佐美定満が城主だったとも伝わる野尻城(琵琶島城)のある野尻湖(芙蓉湖)という説もある。実際に政景の墓は野尻湖の湖畔に作られたが、墓前での落馬が多い事から後に野尻湖に近い真光寺に移されて現存している。
長尾政景の没後、上田長尾家の家督は早世した長男・長尾義景に代わり、次男の顕景が継いだが、顕景は上杉謙信の養子となり、上杉景勝と名を変えて上杉家を相続。山内上杉家と統合された形で上田長尾家自体は事実上断絶した(それ以降の上杉家は「米沢上杉家」と呼ばれている)。が、長尾政景の血脈自体は途中で断絶する事が無く、「米沢上杉家」となった現在も受け継がれている。
尚、上杉謙信の没後に勃発した上杉家の後継者争いである「御館の乱」で、上杉景勝と争った、同じく謙信の養子である上杉景虎(実父は北条氏康)の妻・華姫は長尾政景の娘である。
逸話
一門衆の筆頭として家中を差配したが、父・長尾房長の反覆常無き遍歴に対し、眉を潜める向きは多く、その孫の顕景(上杉景勝)の代に至るまで、「上田衆」の語そのものが差別感情を含んで扱われた。
政略結婚ではあったが、正室仙桃院とは円満な夫婦生活を営んでいる。米沢市常慶院に残る「長尾政景夫妻像」の掛軸は、上部に二人の位牌と夫人一族の法名、来迎する阿弥陀如来を描く。夫人の姿が俗体の若い姿で描かれている事から、政景没後に夫人によって制作され、御館の乱で一族の多くを失った際に法名が書き加えられ、以後も夫人によって長く供養されたと考えられる。現在は損傷が激しく、公開はしていないという。
戦国大戦
(左が長尾政景。右は宇佐美定満)
声優:弦徳
『大名の器である俺様に逆らおうってのか?』
上杉家の武将カードとして登場。奇抜的な髪型を施し、煙管を銜えながら不敵な笑みを浮かべ、真正面に刀を突き付けるという印象的なイラストで描かれている。群雄伝では言動に粗野な部分が多いものの、武田信玄に唆されて謀反を起こした北条高広を諭す様に仕向けたり、また出家しようとした上杉謙信を本庄実乃達と共に引き止めに出向き、その謙信を窘めたりとフォロー役に務める事が多い。
カードのレアリティは最高のスーパーレア。スペックとしてはコスト2の鉄砲隊で武力7、統率5と及第点。只、上記の台詞にある「大名の器」と言いつつも特技(特に魅力)が一つも無いというのは残念である。
所持計略は「宿業の陣」という武力強化陣形で、使用士気は5、陣形範囲は自分中心に横長長方形の陣(縦がカード1枚半分、横がカード5枚分ほどの範囲)を張り、範囲内の味方部隊の武力を6増加させるというもの。使用士気を考えるとその武力上昇値は破格で、大抵の武力による攻め合いでは負ける事の無い強さを秘めている。
但しこういった計略はデメリットもつき物で、その範囲内の味方部隊の統率を6も下げてしまう為、ダメージ計略や妨害計略は専ら天敵。特に強化するには一列に並んでしまう事が多い為に「山津波の計」等、同じく横一線に範囲を持つ計略の餌食にまとめてなる事が多い。また押し合いでも一方的に弾かれてしまい、大筒の防衛には不向きであったり等、満足な戦果を上げる事が出来ない事もままある。
その反面、乱戦で団子状態になりにくいので兵種アクションが起こし易いのはメリットで、特に鉄砲は弾かれる事がそれほどマイナスではないので相性が良い。また、自発的に統率を下げられる計略というのは意外に貴重。 同じ上杉軍の新発田綱貞の「おむすびの術(兵力を10割回復させる反面、一定の時間に武力を10も下げる計略)」等、デメリットを併せ持つ計略などは統率を下げる事でデメリットを緩和させる事が出来る為、巧みに使えば長時間攻撃に徹する事が可能である。