批判
ひはん
概要
対象の良し悪しを判断し吟味すること。
ここで注意しなければならないのは批判というのはあくまで、「冷静かつ論理的に対象の問題点を明確にし、同時に相手が次に活かすべき改善点を導き出す」事を目的とした、至って建設的な行為だという点である。また、批判の対象は他者だけでなく自分自身も含まれる(自己批判)。
『批判』と『非難(批難)』について
よくネット・SNS上では『批判』と称して、相手を誹謗中傷や罵詈雑言、暴言を用いて叩いたり、揚げ足を取ってネガティブキャンペーン(ネガキャン)など、上から目線でただ感情に任せてその存在を根本から否定したり、人格攻撃をする人が多いが*これは『非難(批難)』と呼ばれる全く別の行動である。
本来の意味の『批判』とは上述のように、論理的に行うもので、単に悪い点を引き合いに出すのではなく、同意できる点、良い部分も評価する事も批判に含まれる。
また、その批判がたとえ正当であっても、物言いが乱暴だったり中傷を交えていたりすると、批判としての価値が無くなってしまいかねない。
ただし、いくら厳しく批判されたからといってそれをアンチの難癖と見なして頭から拒絶する事は決して好ましくない。仮に「自分には受け入れがたいor許せない」と思った場合は、無理に反論したり執着したりせず、無視した方がよいだろう。
Pixivにおける批判
pixivでもメイン画像のように、対象への批判を表現するイラストはタグの有無に関わらず見られる。絵そのものでなくキャプションやタグで批判を表現している場合もある。
なお、個人情報の暴露や偏見に基づく差別的感情を書きつけた場合、それが事実であるか否かに関係なく、名誉毀損やヘイトスピーチに問われることがある。「事実であれば何を言ってもいい」ということはないことを知っておこう。
ピクシブ百科事典における批判記事
ピクシブ百科事典(ピク百)では特定の対象に関して批判的(批難的)な記事が書かれることが少なくなく、時には極めて否定的な内容になっているケースもある。これに対し、「ピク百の記事を借りたネガキャンはマナー違反」として好ましくないとする意見もあるが、「ここは(独自研究禁止の)ウィキペディアじゃないんだから何を書くのも勝手」と主観的編集を正当化するユーザーもいれば、自らの見聞を元に極めて偏った意見を主張し「ただの事実は貶めではありません」などとヘイト的な編集を正当化する者もいる(だが、この主張は上記の通り法的には正しくない)。
ピク百は確かに主観的な記述が許されているが、第三者を不愉快にさせるような糾弾調の編集は記事の私物化であり好ましくない。その度が過ぎる場合は、『利用規約』の禁止行為に抵触する可能性も考慮に入れるべきであろう。
確かにピクシブ百科事典にウィキペディアのような客観性は必要ないが、インターネット百科事典を名乗っている以上、一定の公共性・公平性は要求されるのだ。