史実
中国の歴史文献「史記」に、趙国の北方・代の地に駐屯する軍長官として登場。
戦国時代の将としては珍しく積極的な戦闘行為を好まず、侵略してきた敵軍に対し、徹底した防御、防衛戦を展開した。
しかし戦略や策謀に疎かった訳では無く、当時、既に戦闘集団として猛威を奮っていた騎馬民族匈奴が趙国に侵攻した際には、これを討伐。
その功績を認められ、趙国の大将軍となり、度々侵攻してきた隣国秦の軍も撃破している。
この為、後に始皇帝となる秦王の中華統一を阻んだ人物として記録されているが、「史記」の著者:司馬遷は「守戦の名将」と称え記している。
正史だけでなく「戦国策」など民話説話の類にも多く登場する。
その最後については病死、暗殺死など諸説あるが、現在の所、忠義を尽くした自国に処刑されたとする謀殺説が有力とされている。
いずれにせよ、名将である彼を排除してしまった趙はその後滅亡の道をたどることとなる。
彼の孫にあたるのが李左車という名将であり、一時的に復活した趙国を攻め倒した韓信に囚われた際に「敗軍の将、兵を語らず」という名言を残したことで有名。
キングダム
趙国における最強の武将の称号『三大天』の一角を成す人物で、また同国の宰相(これは王騎を討ち取った功績で新たに襲名した)。秦と趙の新たな戦いとなった馬陽の戦で初めてその姿を現し、以後は趙の司令塔として秦と幾度となく戦っていく事になる。
自身も歴戦の武将であると同時に、知略に優れた策略家という顔を持つ。
秦と趙の戦に先立ち匈奴軍20万を撃破するという大掛かりな戦をしたが、大規模な情報封鎖によって他国はおろか、同じ趙軍にすらその事実を知らせなかった。 それを維持しながら、馬陽戦の終盤時に突如4万の軍率いて登場。その行軍能力の早さは王騎の予測を遥かに上回り、彼の死のきっかけをも導いた。
後に楚の春申君と結託して隣国の魏、韓、燕に呼びかけて秦を殲滅する合従軍を結成。咸陽を攻め落とすために再び敵となって現れた。しかし連合軍ゆえの連携の悪さと、守戦を基本とした秦軍の戦法が祟って苦戦してしまう。戦線の膠着を利用し、自ら軍を率いて首都咸陽を堕としに向かうも秦王政率いる民間兵部隊に足止めされ、楊端和の山民族軍に急襲をくらい敗北。合従軍自体を戦略的に維持できなくなり撤退を余儀なくされ、一時的に左遷されてしまった。
どこか涼しげで飄々とした立ち振る舞いで、平時はあまり殺気を感じさせない。
また、敵味方問わず無意味な死を嫌っており、非戦闘員を殺めない、味方の損害を増やすと分かっている事は行わない、といった独自の考えを持っている。
中華統一を目指す主人公信達にとって、国外における最大の敵として描かれている。
余談
キングダム連載前に描かれた短編の主人公であり、ある意味キングダム最古参のキャラクターと言える存在である。この短編読みきりの評価が高かったことがキングダム連載のきっかけになったとのこと。
作者の思い入れの強い人物であり、そのため史実よりもかなり早い段階で登場し、信達の前に立ち塞がる。(登場からかなりの話数を重ねているが史実で信達と対峙するのは2020年6月現在の時点でもまだ先になる。)
先述の記述と作中の戦績と言動・展開の都合の影響をかなり受けている残念な人物でもある。
例)
①作中で参加・勝利した戦は匈奴戦や王騎戦・激辛戦のみ
更に言うと、王騎戦と激辛戦は龐煖の助力が無ければ勝利は厳しかった
②悼襄王より軍や外交の権限をほぼ全面的に委譲されているが、王に対し内心反発的
③政治中枢の人物や、本能型の人物の方が李牧より言動・判断が的確なケースが見受けられる。
この事から、作中の李牧に懐疑的な気持ち抱いている読者も少なからずいる。
そのうえで、本来の史実に寄った資質を発揮する、挽回の機会を期待されるキャラクターである。