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鵯越えの逆落としの編集履歴

2021-01-15 19:44:05 バージョン

鵯越えの逆落とし

ひよどりごえのさかおとし

源平合戦における戦闘の一つ、および、そこで源義経が用いた戦術とされる。

概要

平家の本拠地であった「福原京」に源義経らが攻め入ろうとした際、西側の防衛拠点であった「一ノ谷」を突破するために起こした戦闘

「逆落とし」とは「逆さまに落ちるように急な斜面を駆け下りる」の意とされる。


福原京は現在の神戸市「兵庫区」から「中央区」にかけて、一ノ谷は同「須磨区」の西端に造営されていた。

この付近一帯は六甲山系と瀬戸内海に挟まれた狭い平地が広がっており、特に一ノ谷は海岸間際まで険しい山々の迫った天然の要塞であった。これより西は現在でも隣の「垂水区」に入るまでほとんど人の居住が無く、道路線路だけで平地が埋まるレベルである。摂津国と播磨国の国境でもあり、廃藩置県の際には兵庫県姫路県の県境とされ、現在の須磨区と垂水区の区境はこれを踏襲している。


ちなみに東側の防衛拠点は「生田川」という。氾濫や治水による変化はあったものの、こちらも近代に至るまで集落の境界(昭和時代は現在の中央区の前身である葺合区と生田区の境界)になっていたほど人の往来を阻んでおり、武士らしい非常に強固な都市計画をしていたと言える。


そこを山を強行突破して敵陣の背後に回り込み、奇襲を仕掛けて一気に陥落させたというのがこの戦闘の要旨である。


平家物語』によると、元々義経は奇襲を画策しており地元の猟師に道案内をさせようとしたが、「が通れるような山ではない」という理由で反対されてしまった。

しかし、詳しく尋ねると鹿は通っているという。

そこで「鹿が通えるならば、馬も通えよう」とこの戦術を決断したとの話である。


予想外の所から現れた源氏軍に一ノ谷の平家軍は大混乱に陥り、垂水側に展開していた源氏の分隊と挟み撃ちになる形で瓦解したという。

この救援のため、優勢だった東部からも兵を回さざるを得なくなり、戦局は急速に悪化。最終的に平家は福原京を放棄して、中国地方方面へと敗走してゆく事となる。


ところで・・・

これまで一度も鵯越えという単語が出てきていないが、これには地名として取り上げにくい事情がある。

同じ神戸市内には、「鵯越」として今も呼ばれる地域も存在してはいる。ただしそこは、現在の「兵庫区」から「北区」にかけての一帯で、一ノ谷から8kmほど北東の内陸部である。


この付近を源氏軍が通過した記録自体は残されているものの、「鵯越」を駆け下りてしまった場合、それはもう福原京中枢を直接叩きに行った方が圧倒的に早い位置関係になってしまう。

実際そのような動きをした分隊はあり、「夢野口の戦い」などと呼ばれる戦闘を起こしているものの、義経の活躍として伝えられている内容とは全く異なるものになる。


こうした事から、一連の伝説には『平家物語』の成立過程で追加された創作が多分に含まれているのではないかとする指摘も存在している。


関連タグ

源平合戦 源氏 平家 源義経 戦術 奇襲

鵯越え 須磨 神戸市 平家物語

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