概要
第一次世界大戦時、フランス軍は対戦車兵器として11mm弾を使用するホチキス・ヘビーマシンガンを開発していた。そこに目を付けたアメリカ軍は、コルト社にフランス製の11mm弾を使用する30口径のマシンガンをベースにした試作銃の開発を依頼した。
しかし、ドイツ軍の13mm対戦車銃弾に比べて11mm弾は威力不足だったため、新たにウィンチェスター社が.50ブローニング弾を開発。一方で本銃はジョン・ブローニングが設計を手掛けて1918年に試作型が完成する。
戦時下だったため、M1918として仮制式化されたものの欠点が多く、改良を加えられてM1921となったが、それでも一部の欠点が是正できなかった。その時、工学博士のスミス・グリーン大佐が根気よく本銃の欠点を改修し続けて、1933年にブローニングM2重機関銃が完成する。
アメリカ軍では戦車や装甲車、トラックやジープ等の車載用銃架、地上戦闘用の三脚架、対空用の背の高い三脚銃架、連装、または四連装の動力付き対空銃架、艦船用対空銃架、軽量銃身型の航空機用固定機銃、航空機用旋回機銃架、動力付き航空機用旋回機銃架など、様々な銃架に載せられ陸・海・空軍を問わず広く配備された。
歩兵でも3人で運搬でき(本体、銃身と弾薬、三脚架をそれぞれ受け持つ)、そのため「スリーメン・ウェポン」とも呼ばれる。
簡単な部品交換だけで左右どちらからでも給弾できることも、柔軟な運用を可能にした。
アメリカ以外にも、採用した国は100ヶ国以上にのぼる。フォークランド紛争ではアルゼンチン軍がM2を同じ西側諸国であるイギリスの軍に対して用いるという事態となった。
(この事が後に、M82などの大口径アンチマテリアルライフルを生むきっかけとなった…と言われることもあるがこれは誤りである。M82の開発者ロニー・バレットは確かにM2を参考のひとつにしたものの、開発経緯と軍に実績が認められるまでの経緯は異なる。もともと長距離射撃競技の愛好家だったロニー氏はテネシー州の哨戒艇に塔載されたM2に感銘を受けて射撃競技用の50口径狙撃銃の着想を得た。これは1982年1月1日のことであり、アルゼンチン軍がフォークランドに侵攻した1982年3月19日よりも以前の話である。フォークランド紛争の惨状を憂いたからM82を開発したのではないことは明らかである。その後、完成したM82を売り込まれた軍は当初難色を示したものの、遠距離からの爆発物除去や中東など交戦距離の広い地域での有用さが湾岸戦争などで認められた結果、成功した大口径狙撃銃としての地位を確立したのである。)
朝鮮戦争やベトナム戦争等で大口径の狙撃銃として使われた例もあり、ベトナム戦争では世界三大スナイパーの1人で元アメリカ海兵隊兵士のカルロス・ハスコック1等軍曹がM2にスコープを取り付け、約2500ヤード(約2300m)先に潜んでいる北ベトナム兵を狙撃した。
このハスコック1等軍曹の記録は後に2002年にアフガニスタンでカナダ軍のロバート・ファーロング兵長によって破られる(マクミランTAC-50長距離狙撃ライフルによって、2430mの距離からタリバーン兵の狙撃に成功した)まで35年間破られることはなかった。
バレルの交換と再装填に時間がかかる為、1990年代にベルギーのFNHがこの問題点を解決するため改良を加えた、M2HB-QCB(M2A1)を開発し、現在はこのモデルが主流である。
比較してみると解る。
M2HBではシングルショットモードが追加されたが、トリガーユニット等にセミオート用の機構を追加するのではなくボルトを開放位置で止めてフルオート射撃を中断させるという方法をとっているため、一発毎に手動で装填と薬室閉鎖を行い射撃するという一手間かかる構造となっている(と言っても重いコッキングハンドルを操作する必要はなく、ボタン一つでボルトを開放するだけに近いのでたいした手間ではないが)。
初期モデルのM1918から数えると、おおよそ1世紀の長きに渡り現役を務める傑作重機関銃である。長い期間現役で使われ続けている個体もあり、搭載されている艦の乗員の誰より年を重ねているものもある。
アメリカではM2の後継となるXM806の開発が進められていたが、結局2012年に開発中止となったため現役続行となる。(決してXM806が駄作だった、と言うわけではなく、現在でも重機関銃としてM2で困る場面が少ないこと、大量に配備されているM2を全部置き換えるコストを考えると足踏みしてしまった)
基本データ
全長 | 1,651mm |
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銃身長 | 1,143mm |
重量 | 38,100g(本体のみ)/58,000g(三脚架含む) |
使用弾薬 | 12.7x99mm .50ブローニング |