曖昧さ回避
国民民主党(エジプト)
国民民主党(الحزب الوطنى الديمقراطى)は1978年に結党された政党。アンワル=サダト大統領政権でアラブ社会主義連合に代わり与党として結党された。
社会民主主義政策とイスラム保守政策の協調によるアラブ社会主義を党是としている。
ただし、実際には左右様々な政策を有する包括政党であり、また独裁政権の一翼を担っているため、民主主義政党とも言い難い。社会主義インターナショナル加盟。
国民民主党(ネパール)
国民民主党(राष्ट्रिय प्रजातन्त्र पार्टी)は1990年に結党された政党。ヒンドゥー・ナショナリズムを標榜する保守政党である。ネパール王国の王党派であるが、真逆の立場である共産主義政党との連立政権にも参加したこともある。
2005年以降は党勢が衰退しており、2008年には保守政党としては異例の王制廃止に賛成することとなった。
日本の政党
- 1950年~1952年(昭和25年~昭和27年)に存在した日本の政党。
- 民主党系の以下の政党。当項目で解説する
- 国民民主党(2018-2020):2018年に希望の党と民進党の合流により結党し、2020年の新・立憲民主党への合流に伴い解党した政党。
- 国民民主党(2020-):2020年に立憲民主党と合流しなかった上記政党の党員を中心に結党した政党。
国民民主党(2018-2020)
民進党と旧・希望の党が、野党再編を模索する過程で新党を結成することに合意。2018年5月に旧・希望の党が分党し一部議員が合流する形で新たに立ち上げた。民進党を党名変更した形だったため、法規上は民進党と同一政党である。略称は「国民党」或いは民民。
しかし、民進党系議員からはもそれに参加するなら枝野幸男率いる立憲民主党との連携や、無所属で行動した方が良いという意見があり、民進党系議員の一部は新党への不参加を表明。結党参加議員は60名となった。
発足当初の共同代表は民進党と旧・希望の党でそれぞれ代表を務めていた大塚耕平と玉木雄一郎の2人。
支持率は低いものの、希望の党よりは比例以外の当選率が上がった。
与野党の対立姿勢を深めていく立憲民主党・日本共産党に大同せず自民党と積極的に協議を行って一定の回答を引き出すなど、政策提案型野党として独自路線を歩んだ。しかし、せっかく提案が与党に受け入れられても有権者に自身の成果として認識されず支持率が上がらないという(連立政権ではないので当たり前ではあるが)結果となっている。
因電力労連から金を受け取っている影響からか原発に関しては再稼働容認派である他、維新の会を除く他の野党と異なり自民に屈する時もある。
しかし2019年(平成31年)1月23日、自由党と合流話が出てきて、それから統一会派を組むことで方針を転換。森裕子や山本太郎などと同様、小沢自由党代表の同調し政界再編や野党共闘を訴え、2019年(平成31年)4月26日に正式に自由党と合併合流し『れいわ新選組』を立ち上げた山本太郎を除くすべての議員が国民民主党と合流が決まった。
尚、この時に合併に反対したのはたった4名である。
2019年(令和元年)7月21日の参議院議員選挙には、立憲民主党・日本共産党が呼びかける野党共闘に応じ、そのため護憲(反改憲)の両党に配慮した選挙戦を展開したが、その結果は改選議席が約半減し日本維新の会にも4議席の差をつけられて惨敗。しかし改憲に必要な議席数2/3を自民・公明・維新で確保できなかったため、一時は自民党から大連立を提案されるなど政界のキャスティングボードを握った。しかし、衆議院と同じく立憲民主党と統一会派を組んだためこの大連立構想は立ち消えとなった。
上記の参議院選挙の結果も受けて、2019年10月末から立憲民主党との合流の検討が始まったが、双方の認識の違いなどから一旦破談となった。しかし、2020年に立憲民主党側が譲歩する形で再度合流が検討された。この際、合流新党に改革中道などの文言が盛り込まれなかったことや原発ゼロ政策に難色を示した支持団体側との対立が鮮明化し、結果9月8日に分党が決定。立憲民主党との合流推進派は暫定政党「民主党」(新党結成直前の14日に解党)と合流不参加組の新「国民民主党」に分かれることとなった。ちなみに、この解党によって国民民主党としての2年余りの歴史のみならず、法規上1996年の民主党から続いた24年弱の政党の歴史に幕を下ろすこととなった。
余談
前身の「民進党」から再編で「国民党」になったため、民進党と国民党が二大政党として対立する台湾では一時期ネタ混じりに話題になった。