概要
フルネーム | Mark David McGwire(マーク・デイヴィッド・マグワイア) |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身 | カリフォルニア州ロサンゼルス郡ポモナ |
生年月日 | 1963年10月1日 |
身長・体重 | 195.6cm、113.4kg |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1984年ドラフト1巡目(全体10位) |
所属チーム | オークランド・アスレチックス(1986-1997)、セントルイス・カージナルス(1997-2001) |
経歴
学生時代
高校生時代の1981年にモントリオール・エクスポズからドラフト8巡目で指名を受けているが、この時は契約せず進学した。
南カリフォルニア大学に在学中の1984年にはロサンゼルス五輪の野球競技でアメリカ代表のメンバーに入り銀メダルを獲得した。
プロ入り
1984年のMLBドラフトでオークランド・アスレチックスに1巡目で指名されて契約。1986年8月22日にMLB公式戦初出場。
1987年には当時のMLB新人記録を更新する49本のホームランを放ち、メジャー2年目にして早くも本塁打王のタイトルを獲得。満票でこの年の新人王に選出された。
1997年7月にセントルイス・カージナルスに移籍。リーグを跨いだために本塁打王のタイトルは得られなかったが、年間58本(移籍前34本、移籍後24本)のホームランを記録した。
1998年に当時のMLB記録(ロジャー・マリスの61本)を更新する年間70本塁打を記録。1996年から1999年までの4年連続で50本塁打以上を達成し、この間1997年を除く3シーズンで本塁打王となった。
その後は故障により出場試合が減り、2001年限りで引退した。
人気選手ではあったが日米野球には一度も参加しておらず、寧ろ度々「廃止すべきだ」と発言している。
選手引退後
打撃コーチとして2010年から2012年までカージナルス、2013年から2015年までロサンゼルス・ドジャースに在籍。2016年から2018年まではサンディエゴ・パドレスでベンチコーチを務めた。日本行きを強く拒む発言を繰り返していたマグワイアだが、2014年(ドジャース時代)のオーストラリアでの開幕シリーズには帯同していた。
選手時代にステロイドを使用していたのではないかとドーピング疑惑を持たれたが、2005年時点では議会の証人喚問で「現在のスキャンダルは過去の自分とは無関係だ」して黙秘。その結果、疑念が深まったことでアメリカ野球殿堂入りを果たせなかった。後に、故障からの早期回復および再発防止のためにステロイドを使用していたと告白している。
関連項目
ランディ・ジョンソン※大学時代のチームメイト
サミー・ソーサ※1998年に本塁打王を争った最大のライバル
バリー・ボンズ※2001年に年間最多本塁打記録を更新した