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概要編集

南北朝時代に活躍した北朝方の武将。『逃げ上手の若君』にも登場する。

実在の人物は、土岐頼遠を参照。

美濃国(当時の岐阜源)の守護大名を務める武将であり、青野原(現在で言う関ヶ原)にて北畠顕家を迎え討つために出撃する。

ナレーションにて、認識をバグらせる武将として紹介されており、そのめちゃくちゃな人間性は武力・人格合わせて、殆ど化け物のそれである。


人物編集

人並み外れた巨体と、そこから繰り出される超人的な膂力を最大の特徴とする武将。

その巨体は馬二頭分に跨って初めて進撃できるほどであり、その膂力は彼の使用する武具を持ち上げる者を並外れた強者と崇めるほど。


だが、最大の異常性(バグ)は、人間を人間扱いしないこと。そして何よりも、周囲の人間もそれをごく当然のこととして受け入れる、尊氏とは別次元のカリスマ性である。


頼遠はその余りの膂力故に、部下である周囲の武士を使い捨ての武器や道具として使用しており、周囲の人間もそれを当然の事として無関心に受け入れている。しかも「使い捨て」と言うのも、戦場の窮地に見捨てるとか、殊更に奴隷の様に扱うとか、そう言う次元ではなく、結束の例えで三本の矢を折る逸話の例として、近くにいた足軽をえびぞりにして背骨を折り、そのまま近くにいた三人の足軽を重ねて三人丸ごとえびぞりにして背骨を折って殺す。と言う、パッと見ギャグとしか思えない所業で人間を使い捨ての道具にする。


北畠顕家の軍に対抗する軍議においでは、小笠原貞宗、上杉憲顕と言った実力者を差し置いて自ら総大将となると、その人並外れた膂力をもってくじ引きのひもをもった武士の指を引き裂いて1番を引き先陣の役目を引き当てた。

余りにも支離滅裂な人間性と人智を超えた膂力を持った頼遠に、貞宗は恐れ(恐怖というよりも訳が分からないと言う驚愕が強い)なして彼と近寄る事を避け、引き裂かれた武士の指から5番のくじを選び、頼遠から遠く離れた位置に陣を敷いた。


活躍編集

暦応元年(1338年)、奥州に拠点を築いていた北畠顕家が、北朝により征夷大将軍に任じられた足利尊氏を打倒するため上洛を始める。

大軍を率いる顕家は鎌倉から出陣した尊氏の弟・直義を破ると、鎌倉へと進軍したため、直義、尊氏の嫡男・義詮らは逃亡、鎌倉は顕家軍に占拠された。


顕家軍には得宗北条高時の次男・時行をはじめとする多くの武士団が合流し、軍勢はさらに肥大化し東海道を攻め上がる。

一方、足利軍は美濃に集結するが一部を除いて戦意は低く、名将・小笠原貞宗ですら「何とか損害を少なくして早く撤退してしまおう」と考えるありさまとなった。


そのなかで例外的に戦意が高かったのが土岐頼遠である。

彼は貞宗の提唱した「北畠軍を素通りさせた後、京都の足利軍と連携して挟み撃ちにする」挟撃策を退けると、人物の項目にあるめちゃくちゃな手法で総大将となり、戦いに出陣する。

その後の戦いで逃若党の一人・狐次郎と戦い、一敗地にまみれるが、つづく青野原の戦いで七百余の兵を率いて顕家軍の大軍を迎え撃ち、獅子奮迅の働きで顕家軍をほぼ壊滅させ、顕家を敗死寸前の窮地へとたたきこんだ。


関連タグ編集

逃げ上手の若君 太平記 土岐頼遠

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