概要
朝廷(南朝)を統べる後醍醐天皇の皇子。
北畠顕家亡き後、朝廷の失地回復のため北畠親房、春日顕国ら有力貴族、北条時行、結城宗広ら有力武将とともに南朝が勢力を張る伊勢から関東・東北各地に向けて出航するが、待ち受けていた佐々木道誉の娘・魅摩が起こした嵐により船団はバラバラになり、宗良親王は北条時行、新田義興らとともに遠江国南岸白羽港に漂着、宗良親王は井伊谷の領主・井伊行直に迎えられる。
井伊行直は居城・井伊谷城に北朝方の高師直・師泰兄弟を迎え撃つが敵わずに降伏、宗良親王は井伊谷城から落ちて北条時行ら北条氏残党、保科党ら信濃の土豪が籠る信濃・伊那谷に築かれた大王徳寺城に身を寄せる。
北条時行ら北条氏残党は信濃の土豪や諏訪大社宗徒から影ながら支援を受け、信濃国守護・小笠原貞宗や信濃の土岐頼遠の猛攻に4ヶ月にわたり耐えていたが、少数の兵で大軍を迎え撃つには限界を迎えつつあった。
人柄
父・後醍醐天皇や兄・護良親王のように新たな世を作る野心がなく、和歌を作ることに興味がある文化人的な性格。
まだ若いものの、武士(特に足利尊氏)を敵視していた兄・護良親王とちがい武士に対する偏見がなく、戦略・戦術に関する手腕も百戦錬磨の井伊行直や年若い北条時行に一任、彼らの敗戦や城から落ちることを責めない懐の深さを見せる。