足利直冬(逃げ上手の若君)
あしかがただふゆ
133話より登場する少年。年齢は時行と同じ。
幼き日より鎌倉・東勝寺に預けられ僧になるための修行を積んでいたが、
元弘3年/正慶2年(1333年)、鎌倉幕府打倒のために攻め寄せる新田義貞の軍勢により鎌倉は陥落し、北条高時をはじめとする北条一族は自刃、小僧として出家していた少年は北条一族の滅亡を目撃していた。1話にて北条一族が滅亡する最中、読経を行っていた特徴的な眉毛の小坊主が彼である。
少年は北条氏唯一の生き残りとなった北条時行と会い、父について問う。
「貴方は何度敗北しても戻ってくる」
「仇の新田と協調してまで戦を続ける」
「何故そこまで戦い続けられるのか」
「戦場で死ぬのが恐くないんですか?」
これに対して北条時行は
「実の父から血と誇りを」
「育ての父から愛と志を」
「父達の遺産に恥じないためには・・・」
「死を恐れて隠れるだけの生き方はできないんだ」
と答え、父に仕えて名をあげることを望みながら、
母の身分の低さに父から拒絶されることをためらう少年に
「拒絶するなら、その程度の父」
「そんな男は無責任で身勝手な人格破綻者だ!」
「恐れず進もう!」
と少年を励まし、父に会うことを勧める。
迷いを吹っ切った少年は父と会うことを決意する。
少年の名は「足利直冬」、北朝方の武将となり、後に父・尊氏とも対立し、血で血を洗う殺し合いをくりひろげることとなる。
1345年、父・尊氏に仕えるべく上洛。
時行と会って以降、武芸・兵法・教養を鍛えて父との対面を果たす。当初大きくなったなと歓迎されるも、近くに寄ってきた尊氏は突如顔芸を晒してひとしきり臭いを嗅ぐ仕草を見せる。
いつもの勘によるものか、ここに来るまでの背景に自身にとっての地雷でもある時行が関わっていることを朧気ながらに気付く。
そこで「嫌な臭いがついている 好かん」と本人と直義がドン引きする中告げられてしまうことに。
史実でも他人に寛容か、もしくはどうでもいいスタンスの尊氏が何故かこの庶子の次男だけは嫌っているが、ここでは天敵の時行が自身に直冬が会いに来たきっかけであることを察知したためとしている。
また、直接的に語られてはいないが、鎌倉幕府滅亡時に兄が殺害されていたため、この時点で尊氏にとっては長子であったが、尊氏には既に正室との間に義詮と基氏(未登場)がおり、後継は正室の長子である義詮で決まっていたためさして重要な存在ではなくなっていたこと、家中での義詮との争いによる内紛を避ける意向もこの扱いに拍車をかけたとも史実では推測されている。
その後も実父から徹底して避けられる様子を見かねた叔父・直義は実子がいなかったこともあり、自らの養子として官位と「直冬」の名を与え元服させた。
直義からは「自信を持て 色々試したがお前の才は抜群だ」と激励されている。
この時既に40近くになっていた直義であるが、義弟・渋川義季との約束を貫き、彼の姉である頼子のみを愛するという言葉を守り続け、側室も置いていなかったことも一因として、直冬を迎えた経緯の通り、この時はまだ実子がいなかった。
甥である養子・直冬を迎えたとはいえ、このことは後に苦境に陥る一因となるのであった。
さらに2年後、四條畷の戦いで南朝方の楠木正行・正時兄弟を自刃に追い込み、南朝の本拠地である吉野の攻略に成功した師直派の権勢はピークに達する。
人望を集めやすい恩賞と官職任命以外の政務全般を取り仕切っているが為に恨みを買いやすく、さらには武力に乏しく戦功を立てられない直義派の中で気を吐いたのが直冬であった。紀伊で起きた反乱鎮圧に志願し自ら大太刀の二刀流で先陣を切って瞬く間に鎮圧。武に加え、気分屋な性格、茶目っ気のある和歌のスタイルやカリスマ性など、ありとあらゆる面で実父・尊氏を受け継いでいた。
この英雄の気質は嫡子である弟の義詮は薄かったがために師直や道誉ら野心家にとっては序列を脅かす存在として警戒され、尊氏からは時行臭に加えて放置していた子の方が活躍していること、さらには同族嫌悪的な感情もあったのか(気質に加えて、偶然にも元々は庶子の次男という点でも境遇が実父と同じ)面白いものではなく、さらに冷遇を受けることになる。
そうした事情もあり、直義により西国統括を担当する長門探題に任命され、都から離れ勢力拡大に取り組むようになる。