「お前は時代に取り残された遺物なんだよ!」
「観念して俺の出世の糧となれェ!」
プロフィール
武力 | 72 | 蛮性 | 76 |
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知力 | 37 | 忠義 | 3 |
政治 | 24 | 混沌 | 75 |
統率 | 37 | 革新 | 29 |
魅力 | 15 | 逃隠 | 66 |
技能:太刀打(丁) | 太刀適正10%上昇 |
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技能:臆面無用 | 主君を裏切っても良心値が下がらない |
備考: | 友達がいない |
口癖 | 俺の義理の兄の名を言ってみろ! |
マーキング・パターン | 五大いんスタンプ |
CV | 伊丸岡篤 |
概要
時行の腹違いの兄である邦時の伯父で、同時に彼の護衛役も任せられていた武将。
人物
妹が鎌倉幕府の執権、つまりは事実上の最高権力者に嫁いだことで出世を果たした、親の七光りならぬ甥の七光りで栄達した人物。
で、ありながら足利高氏が鎌倉幕府を滅亡させるや否や速攻で北条を裏切り、主君の息子にして実の甥でもある年端もいかない子供を賞金欲しさに秒で敵に売り飛ばすという鬼畜の所業を行った忘恩の徒。このため劇中のイメージ解説でも1333年(元弘3年)における“鬼畜大賞1333”に認定されてしまっている。ご丁寧にトロフィーまで貰って感極まって泣くなど、鬼畜に相応しい(?)いじられっぷりである(アニメでは鼻まで啜る汚さである)。
御恩と奉公が原則のこの時代において、調略として最初から内応しているならともかく、事が起きてから私利私欲のために土壇場で裏切るという行為は、寝返った相手側からもその忠義に対する不信と人間性への軽蔑からボロクソな誹りを免れず、追放、もっと悪ければ処刑されても何ら文句は言えない所業である。本作においても史実においても、この下らない裏切りによって本人は散々な目に遭っている。
しかし、単に血縁だけで評価されていたというわけではなく、仮にも最高権力者の息子の護衛役を任されるだけあってちょっとした樹木であれば刀一本で切り倒すことができるほどの剣の腕、単純な不意打ちなら難なく捌き、さらに戦いの中で相手の秘める才覚を感じ取れる鋭い勘も備えるなど、武士としての実力はかなりのもの。博打好きなのか物事を双六で例える癖があり、後述の鬼名はその癖から来ているものと思われる。
作中での動向
足利高氏の起こした反乱の際に邦時を連れて鎌倉からの逃亡を図ったが、直後に報償金目当てに邦時をその高氏に与する新田義貞の軍に売り渡し、結果的に彼を刑死に追いやった。しかも、邦時の身柄を抑える際には満7歳の小児である邦時にマウントポジションを取って顔面に拳を大量に叩き込むという明らかに過剰な暴行を行うなど、その残虐ぶりを見せつけた。
しかし、この行為は己の君主であったはずの北条家に対する裏切りということもあってあの新田側からも“評価に値しない不忠”と見なされ、何の恩賞も与えられないまま追放される羽目になり、乞食同然の身分にまで落ちぶれてしまった。
それでも反省の色は一切無く、自分が返り咲くためには北条の正室の子である時行の身柄が必要と考えて、今度は諏訪頼重に匿われたと聞いた時行を捕獲するべく賽の鬼となりて行動を開始。時行を見つけるや味方を装って近づいた所を既に宗繁の背信を知っていた時行の罠に嵌められかけるが、それもすぐに破って見せ、今度は実力行使で時行を捕らえようと襲いかかった。
戦闘ではまだ碌な剣術の指南を受けていない時行を容赦なく圧倒するも、彼の天才的な機敏性に翻弄されて仕留めきることはできず、一進一退の攻防を繰り広げる。その戦いの中で彼の持つ“逃げ”の才能に戦慄を覚えつつあった所を頼重の助言を受けた狐次郎と亜也子の手で動きを誘導され、そこから反撃に転じた時行に首を刎ねられて死亡した。
本作においては序盤のやられ役であるが、その清々しさすら感じる外道ぶりから悪役として強い印象を読者に残した名脇役である。当人は700年越しに悪行がほじくり返されたことをオマケページで嘆いていたが…。
史実
史実では、邦時に一旦伊豆山へ向かうように進言して送り出した上で、新田義貞の軍に動向を密告し、相模川で待ち伏せさせ間接的に突き出したと記されている。
人物項でも軽く触れている通り、御恩と奉公が重視されたこの時代において、北条家と縁が強く御恩も深い彼が正当な理由もなく奉公を果たさずに裏切る事自体が完全アウトである。そもそも寝返りにも当時から作法があり、事前に内通などで立場をはっきりさせない裏切りは「土壇場でわが身可愛さで裏切った」と悪印象を持たれ敗残側の人間として処罰される物と考えると、殺されなかっただけでも幸運といったレベルで根本的な立ち回りが論外なのだ。
要するに、現代においても(創作を含めた)ダブル不倫からの再婚や企業間の背信行為において時折言われる「不倫するような奴とよく結婚できるな」「一度金で裏切ったやつを信用したのが悪い」といった感覚が当時にもあったということである。武士の原則たる「御恩と奉公」をないがしろにし、土壇場で我が身可愛さに裏切るような奴は、次は自軍に対してやりかねないということなのだ。
加えて言えば、一般に下剋上の世と言われる戦国時代でもこのような感覚は根付いており、初めから裏切るつもりで行動を起こした者はそれなりの厚遇を受ける例が多いが、土壇場で裏切った者はついでに処刑されたり周囲の武将からボロクソに言われたりと大体ロクな目に遭っていない。
有り体に言えば考え無しの馬鹿のやることなのである。
その後、新田軍から追放された(それ以前に外聞が悪すぎて処刑されそうになったため先に逃げ出したとも言われる)後は逃亡生活を送ることになったが、既に宗繁の悪行は世間に知れ渡っていたために旧友も含めて誰一人として彼を助けようとはせず、最期は飢えて野垂れ死んだと伝えられている。その最期が事実にしろそうでないにしろ、史書にもそう書かれるほど宗繁が唾棄すべき人間だということだろう。
ちなみに、史実において主君である高時は、息子を宗繁に預けるに際して、長年にわたり恩寵を授けていたこともあって、「いかなる手段を使っても匿って守り抜き、時が来れば立ち上がって亡魂の恨みを和らげてほしい」と頼んだとされる。
余談
五大院の鬼名が「賽の鬼」であるのは前述の癖から来ているものと思われるが作中において五大院は「賽を積み上げている」シーンがある。なにげないシーンではあるが、地獄には親より先に死んだ子供が「賽の河原で石を積むが積み終えようとすると鬼が来てせっかく積んだ石を崩してしまう」刑罰がある。このことから五大院の鬼名が「賽の鬼」なのは、私利私欲のために死なせた(石を崩した)子供(邦時)の気持ちを味わえという意味が込められているのかもしれない。その意味に沿うかの様に五大院は邦時と同じ末路を迎えている。
史実での最後を知る読者などからは「戦って死ねただけ史実よりマシでは?」とコメントするものもいる。