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概要編集

南北朝時代に活躍した南朝方の公卿、『逃げ上手の若君』にも登場する。

人物編集

生年 不詳

没年 興国5年/康永3年3月8日(1344年4月21日)

官位 左近衛中将、侍従。


陸奥守鎮守府将軍・北畠顕家に従い東国に下向し各地を転戦する。

建武4年(1337年)、朝廷に背いた足利尊氏直義兄弟らを討つために顕家が上洛すると、顕国は東国にとどまるよう顕家に命じられて関東平定に力を尽くす。

顕家の死後も関東に拠点を置き北朝方を苦しめるが、興国5年/康永3年、高師冬に敗れて捕らえられ一族ともども処刑、首は京に送られて六条河原にさらされたという。

『逃げ上手の若君』の春日顕国編集

 「私はね雫君 兵法通りの策を献上しているだけだ」

 「顕家卿はわたしの策で戦を始め」

 「最後は軽々と策を超えて行かれるのだよ」


北畠顕家に執事として仕える。

カイゼル髭を生やした物腰のやわらかい人物だが軍略にも優れた軍師であり、

その智謀は楠木正成の軍略を学んだや、東国の猛者たちを感嘆させるほどであり、わずかな軍勢をもって男山に籠り北朝方最強の高師直の軍勢を引きつけて翻弄するほどである。

関連タグ編集

南北朝時代(日本) 北畠顕家

逃げ上手の若君 雫(逃げ上手の若君) 北畠顕家(逃げ上手の若君)

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