「楠木正成と申す」
「土豪上がりのしがない小役人でござる」
概要
楠木正成とは実在した南北朝時代の武将であり、ここでは『逃げ上手の若君』の登場人物として紹介する。
千早城・赤坂城に籠り幕府方の大軍を翻弄、鎌倉幕府が滅亡するまで籠城しつづけた。
データ
武力 | 88 | 蛮性 | 90 |
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知力 | 98 | 忠義 | 100 |
政治 | 61 | 混沌 | 100 |
統率 | 99 | 革新 | 94 |
魅力 | 95 | 逃隠 | 100 |
技能:楠木流兵法 | 自軍全ての武力と統率20%上昇、敵軍全ての武力と統率20%下降 |
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技能:悪党の流儀 | 1ターン休みと引き換えに逃げと奇襲が必ず成功する |
技能:太刀打(甲) | 太刀適性40%上昇 |
技能:雑草の鬼才 | 兵が計算通りに集まらない |
マーキング・パターン | 菊水 |
CV | 鈴村健一 |
人物
『逃げ上手の若君』にも京都篇から登場するが、朝廷から与えられた恩賞は群を抜いて多く、記録所寄人、雑訴決断所奉行人、検非違使、河内・和泉の守護、河内守(国司)を歴任する。
信濃国守護・小笠原貞宗の配下となった瘴奸はかつての盟友であり、京都に向かう直前のエピソードで北条時行に向かって「おまえは楠木正成殿から軍略を学ぶべきだった」と言い放つほど高く評されている。・・・もっとも、瘴奸に対する楠木正成の評価は「つるっぱげの腐れ外道」と散々である。
そして、念願の初登場を果たしたのだが、『高名な武将』が前評判になっていた割には異常なまでに腰が低い上に頭を下げている時だけ妙な変顔を披露する残念な大人で、逃若党を困惑させた。腰が低いを通り越して卑屈なくらいであり、女房にも完全に尻に敷かれた情けない雰囲気の大人である。・・・・表向きは。
しかし、そこは南北朝時代を代表する武将であり、普段の腰の低い姿勢は周囲を警戒させないためのブラフである。実のところは武名に恥じない非常に優れた武術の持ち主で、なんと瘴奸を倒した初見殺しの技である『鬼心仏刀』を初見で打破するといった離れ業を見せた。
普段から上下左右にへこへこキョロキョロすることによって、相手の体格、姿勢、歩幅、間合いをスキャンし確実に逃げられるよう把握するなど、一挙手一投足が戦いを意識している生粋の戦人である。言わば北条時行の完全上位互換であり、優れた戦術眼と巧みな状況判断を持ち合わせた当代一流の”逃げ上手”なのである。
時行は彼の逃げ上手に魅せられ、後に彼から逃げ好きの軍略を記したすごく字が汚い書物を頂く。
この書物により、時行は中先代の乱での軍略を考えることになる。
最期
中先代の乱の後に起こった建武の乱にて、足利尊氏と敵対することになる。
後醍醐天皇は、尊氏が中先代の乱を朝廷に無断で鎮圧し、更には自身の後継者である護良親王を手にかけた事に怒り、尊氏を逆賊認定する。
こうして、尊氏と後醍醐天皇は対立し、正成は奥羽から援軍に来た北畠顕家と共に一時は尊氏を九州へと追いやる事に成功する。
しかし、負けながらも兵力を増やしていくと共に、九州で反攻に成功すると、後醍醐天皇と敵対していた光明天皇を擁立し、正成率いる官軍と激突する。
当初は、京都内に尊氏を誘き寄せてその間に後醍醐天皇を逃し、京都内に誘い込まれた尊氏を都ごと火の海にする事で討伐する策を立てるが、貴族からの反対にあい却下される。
そこで直接尊氏を討ち取るべく、湊川に出撃するが、そこで尊氏との一騎打ちにて知略と武勇の全てを尽くしたものの、力及ばす敗北する。
その後、今際の際にて尊氏から、「貴方ほどの傑物が、敗北した原因は何でしょうか?」と問われて、「逃げるのをやめた」ことと答えた後に、尊氏からの「敵でもいいので、すぐに生まれ変わって来てください」と言う言葉に笑いながら、「七度生まれ変わっても、朝敵尊氏を討ちに来るよ」と答えて息を引き取る。
伏線?
この時期、中先代の乱にて、北条時行は死んだ。とされたことになっているが、実際には諏訪頼重の死に際の計略にて生き延びており、その事を半ば察していた。
また、尊氏との戦いに挑む際には、遺していく二人の息子たちの身を案じ、元服名として「時行」から字を取って、長男には楠木「正行(まさつら)」、次男には楠木「正時」の名前をつける。
行と書いて「つら」と読ませる名前に本人が疑問を呈した折には、「ゆきでは露骨すぎる」と言いつつ、特に何の意味も無いのだと誤魔化していた。
そして死に際にて、尊氏の天下人としての本質を掴み、それと戦うことになるであろう時行の事を思っていた。