史実の概要
鎌倉時代~室町時代初期の武将。信濃国松尾(現・長野県飯田市松尾)にて生まれる。
小笠原氏は甲斐源氏(武田家)の加賀美遠光の次男・長行を祖とする。長行は弓馬の技に秀で高倉天皇や源頼朝の賞賛を受け現代にも残る小笠原流の弓術や馬術の開祖として知られるが、子孫の貞宗もまた上述のように弓術に秀で馬術にも優れた。貞宗は長行以来伝わる弓馬の術に礼法も加えて「糾法」と称し武士としての基礎教養である小笠原流の基盤を確立した「小笠原流中興の祖」として『武士の規範』となった人物とされる。なお、阿波へ赴いた貞宗の曾孫の義長は三好を称し戦国時代には三好長慶・三好義賢・安宅冬康・十河一存兄弟を輩出している。
『逃げ上手の若君』での概要
「命を奪う敵だからこそ奪う命に敬意を払えい」
「せいぜい天下を逃げ回れい北条時行」
足利高氏の謀反に呼応して鎌倉幕府に反旗を翻した武将達の1人でもある。
武力 | 90 | 蛮性 | 87 |
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知力 | 73 | 忠義 | 72 |
政治 | 67 | 混沌 | 64 |
統率 | 69 | 革新 | 53 |
魅力 | 80 | 逃隠 | 41 |
技能:小笠原の弓 | 武力と命中35%上昇 |
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技能:鬼視力 | 命中20%上昇、観察10%上昇 |
固有武器:四人張四方竹弓「千眼」 | 射程15%上昇 |
他に目で出来る事 | 紫外線感知、地震感知など。呼吸、体外消化も少しなら可能 |
マーキング・パターン | 矢絣に的 |
CV | 青山穣 |
人物
魚のごとく常に見開かれた大きな目が特徴。
性格は高氏に対してこそ恭しいものの、主人公サイドである北条に与した者など、敵に対しては傲岸不遜。諏訪頼重への挑発として信濃守護に任じられたことにより(頼重の)上に立つこと、『耳の裂けた鹿がいると縁起がいい』とされる諏訪大社の言い伝えを引き合いに出し、非戦闘員である巫女の耳を自ら弓で射ち抜き傷をつけ『耳の裂けた雌鹿』と嘲笑。このため主人公である北条時行から『目玉一杯に性格の悪さが詰まった男』と称されている。
武士としては相手を見た目で判断して油断する所はあるが、追い詰められればすぐに冷静さを取り戻し、たとえ負けたとしても次の手段があれば即座に動くことのできる豪胆さを秘めている。
一方で、同盟者の市河助房が妙に馴れ馴れしい態度で接してきた時には表面上は冷静さを保ちながらも、内心では思いっきり困惑していたりと、変に常識的な所もあったりする。
反乱成功の恩賞として足利尊氏(高氏を改名)によって信濃国守護に任じられ、諏訪頼重に匿われている北条時行の捜索および抹殺のため諏訪大社に派遣される。
その一方で信濃国国司に任じられた清原信濃守が敷いた圧政に反感をもち、賊として生きてきた瘴奸を召し抱えるにあたって「これからは武士として生き、賊であることを禁じる」など無益な殺戮や搾取を好まない誇りを持っているだけでなく(虐殺や圧政による離散で領民が減れば税収が減って自分の首が締まる実害もはっきりと認めている)、時行に「生命を奪う敵であっても敬意をもって接すること」、武将の心得を説くひとかどの武士としての姿も見せており、時行と敵対するのも尊氏を通して朝廷に仕える立場のちがいにすぎないことが描かれている。
鎌倉幕府によって定められた無理のない税の徴収を清原信濃守が廃して重税を課したことにより反乱が勃発したおりには、市河助房を清原信濃守のもとに代理として出陣させて、清原信濃守に対する不満を陰ながら表明している。
年季を積んだだけあり老猾な人物であるため状況判断に優れた人物で諏訪神党は結局彼を排除し諏訪の地を出ることができなかった。
視力
高氏が手に持ったダニの雌雄も見抜くほどの優れた視力の持ち主。
それ以外にも妙に目に関するスキルが豊富で「目からの振動で会話できる」とか「目からは涙だけじゃなく胃液も流せる」という人間離れした特技も有している。
弓の腕前
当代随一の弓の名手であり、その腕前たるや当時の帝である後醍醐天皇からも讃えられ、彼の弓の射ち方は現代における弓術の基礎にもなったという。その弓をつがえる様は時行ですら思わず息を呑むほどの洗練されたものとなっている。
(但し南北朝の荒んだ世が舞台であるため、上記のような挑発行為にも躊躇なくその弓の技を使っている。)
活躍
諏訪に派遣されてから、尊氏から下された任務を果たすべく、頼重から長寿丸(という稚児に扮した時行)と犬追物(乗馬しながら弓を射合う勝負)の試合を行い、もし長寿丸が勝てば諏訪に手を出さないことを条件にした賭け試合に臨む。
しかし、この賭けは諏訪を守るための策と言うだけでなく、時行に彼の弓の技術を盗ませるという意図も含まれていた。
乗馬戦では当初こそ時行を圧倒していたが、相手側の策に嵌って点差を付けられてしまう。一度は焦りを見せたものの、すぐに頭を切り替えて時行の死角に付き、そこから逆転の機会を狙うが、その中で時行が導き出した「逃げながら攻撃」こと「パルティアン・ショット」を受けて敗退。
まさかの逆転負けを喫したことにより、貞宗は約束を守らざるをえない状況に置かれ、一度はその場を退いた。と、思われたが、「諏訪大社領を小笠原領にせよ」との後醍醐天皇からの綸旨を盾に再登場(しかも笑顔で手を振りながら)、諏訪一族に屈服を迫った。
これに対して時行一行は綸旨の奪取を画策し、盗賊の風間玄蕃を郎党に加え、彼の協力の下に小笠原の邸宅に侵入。闇夜ゆえ目が利かず苦心していた所へ邸内にいた助房がそれに気づいたことで貞宗と共に侵入した賊を捕らえに出る。賊であった時行と玄蕃の二人を追い詰めるも、この時既に玄蕃に綸旨の入った蔵に火を付けられており、結果として蔵ごと綸旨を焼失させられてしまう。
その後の綸旨の再発行を待つも、後醍醐は尊氏の反乱の後処理に追われてそこから先の領地整理を「めんどい」と放棄したことで綸旨の再発行も無くなり、信濃の領地没収の命令は事実上無効になってしまった。
その後、信濃にて起こった中先代の乱では、長寿丸=北条時行であることを知ると単騎で飛び出し、信濃守護・小笠原右馬助貞宗として全力で時行を狙う。
しかし、時行が信濃で一番楽しそうに逃げるのは、いつも貞宗に追われている時だった。
歴戦の敵将を厳しき師とし、大きく育った時行にとって、貞宗もまた違った形での親代わりであった。
貞宗との全力の鬼ごっこで、貞宗が大木にぶつかるよう仕向けると、落馬した貞宗に対し、時行は「行ってきます。天下に挑みに」と挨拶を済ませ鎌倉へと向かう。
敵ながら時行の二年の成長に感心した貞宗は、
「せいぜい天下を逃げ回れい、北条時行」
「翔ぶを止めるなよ。この儂が射ち落とすその日まで!」
と、心のなかで時行を激励し、時行との戦いは一旦の区切りがついたのだった。
その後は時行軍の鎌倉進攻前後で体勢を建て直し、諏訪神党に奪われた領地へ再侵攻したことが語られている。
再登場
北畠顕家討伐の為に出陣しており、上杉憲顕軍と合流、顕家軍を足利本隊と挟み撃ちにしようとするも土岐頼遠の乱入により策を覆された挙句に意昧不明の言動に振り回される羽目に。
しかし、陣を構えた先で時行と再会を果たし、再び彼と対決。
更なる成長を認めつつも彼を追いつめ、奥義にて射止めた…と思ったがその一撃は望月亜也子に防がれており(厳密には矢は止めたものの、衝撃は止められていなかった)、その隙に北条軍の奇襲を許したことで形勢不利になり、時行の姿勢と成長に感心しながら撤退していった。
余談
登場当初から、松井作品にお馴染みの変態的な狂人キャラとして描かれたが、かませ犬のような登場からは考えられないほどの活躍ぶりを見せるなど色物キャラなのにカッコよく、読者から凄まじく愛されるキャラクターとなった。
史実では「武士の模範」となった人物であり、彼を輩出した小笠原惣領家は、今も弓術と礼法の家元の一つである(当然ながら子孫の方もいます)。
そのため、読者からは「(そちらの方から)抗議が来るのでは?」という心配の声もあがった。
上記の巫女の耳に対する弓射も、南北朝時代の当時の武士は血気盛んで暴力的であった荒々しい時代的背景を考えるとあまり不思議でもない。ぶっちゃけ、南北朝時代の侍は残虐非道そのものな野蛮人が多く、こんなことも日常茶飯事だった。(男衾三郎絵詞という文献を引用すれば「訓練場には生首を絶やすな」「門を横切った浮浪者や僧侶を弓の訓練に使え、すばしっこく逃げるので練習になる」と脚色されているにしても修羅の国同然の有様であった、鎌倉時代に御成敗式目で「意味もなく人を殺すな、強盗も禁止」と声明を出すレベル)
「武士の規範」とされるような常識的な人物像も描写されており、ある意味で”南北朝時代の武士”そのものを解説するような役回りとなっている。
そして話が進む毎に天然ボケキャラ、ギャグキャラ、そして苦労人キャラ属性が付与(エンチャント)されてゆくのであった・・・。
そしてとうとう単行本第五巻の表紙を飾った。
ちなみにデザインのモデルとなったのは俳優の阿部寛氏とのことだが、顔のラインを原形をとどめないほど崩して作り上げたとのこと。モデルとは・・・?
アニメで貞宗が登場すると現代の小笠原家も脚光を浴びることになった。
関連タグ
関連キャラクター
北条時行(逃げ上手の若君)、諏訪頼重(逃げ上手の若君)…それぞれ別ベクトルの宿敵。
市河助房…同盟者であり、何かと貞宗を立ててくれる盟友。