概要
後醍醐天皇の皇子、母は二条為子(二条為世の娘)、僧侶時代の名は尊澄法親王。
経歴
応長元年(1311年)に誕生、最初は妙法院で出家、元徳2年(1330年)に天台座主となるが元弘の変で讃岐国へ流された、鎌倉幕府滅亡後に京に戻り天台座主となるが南北朝分裂後に還俗し宗良と名乗った、後に伊勢国・遠江国・越後国・信濃国に移動した、正平6年(1351年)に新田義興と義宗と共に鎌倉を占拠し翌年に正平7年(1352年)に後村上天皇から征夷大将軍に任じられたが武蔵野合戦で敗れ室町幕府に奪回された、文中3年(1374年)に吉野に戻り後に出家した、元中2年(1385年)頃に死去したという。
人物
新葉和歌集を撰した。