概要
茶屋エンドとは、マルチエンディング形式をとるSEKIROに存在しないエンディングの1つ。
文字通り、葦名と竜胤にまつわる問題を解決し、世捨ての旅人となった狼と九郎様は、どこか平和な場所で茶屋を開き、変若の御子のありがたいお米で作った絶品おはぎを求めやってくる薬師や縁を交わした情報屋や小太郎たちとの交流を交わし、時には敵対していた孤影衆や弦ちゃんも御子のおはぎに笑顔を零す、そんなほのぼのとした結末・・・
・・・・という、仔犬たちの叶わぬ願いである。
※ここから先、SEKIROのエンディングのネタバレに深く関係するため、プレイ済みの飢えた狼のみスクロールすべし※
茶屋エンドとは
騙して悪いが、SEKIROには存在しないエンディングである。つまるところIFエンド、二次創作。
このフロムゲーにあるまじき平和なエンディングが「茶屋エンド」と銘打たれているのは、ストーリー序盤、弦ちゃんこと葦名弦一郎を破り、御子の奪還(九郎様)に成功した後、仙峯寺の変若の御子に柿を食わすと、九郎様に向けた「お米」というアイテムを渡すことができる。
このお米を渡すと会心の出来栄えのおはぎ(かなり強力な回復アイテムだが入手機会がこの時と後数回くらいしかない貴重品)を作り、主人公の狼にくれるのだが、それを九郎様の前で食した際に「暇ができたら茶屋でも開くかのう」としみじみと語ったことから連想されたIFエンドである。
しかし、ここは難易度でもストーリーでもプレイヤーの心を折るフロムゲー、そんな生ぬるいエンディングなど用意はしてくれなかった。
マルチエンディングが採用されているとは言え、どのエンディングでも絶対に主要人物の誰かが犠牲になってしまうのである。
全4種あるマルチエンディングのうち、
- 普通に進めると必ず到達する「不死断ち」エンド
・・・九郎様を殺すことになる。
- エマの力を借りて義父との決別を果たして迎える「人返り」エンド
・・・狼が自刃する。
- 変若の御子の助言を受け、実は西から来た特定外来種であった桜竜さん(と竜胤)を現地にお返しする「竜の帰郷」エンド
・・・九朗様が諸事情で肉体を失ってしまう(一応これがSEKIROのトゥルーエンドと解釈される)。
- 物語中盤、大忍び梟の命令に従って今までの努力をフイにする「修羅」エンド
・・・主要人物どころか葦名及びその周辺に住まう民草、兵士数千人が狼によって斬り尽くされる。少なくともエマは絶対に死ぬ。
・・・とまぁこんな具合に誰かが救われ生き残るためには、絶対に大切な誰かが死なねばならないのである。
特に修羅エンドに関してはそれまで九郎様のために「為すべきことを為す」と誰かのために頑張って来た狼が「人を斬る悦び・・・すなわち修羅」に取り込まれ、自分のために刃を振るうようになってしまい、二本の不死斬りと怨嗟の炎を手に葦名ジェノサイドを起こしてしまうという葦名にとっても内府にとっても勿論九郎様にとっても最悪のエンディングである。
また、狼と九郎様が生き残る「竜の帰郷」では、竜胤を西にお返しするために変若の御子が行動不能となってしまった九朗をその身に取り込み、狼を供に永い永い度に出ていく…というある意味お米ちゃんルートとなっている。
どのエンディングを迎えてもどっちが死んでいるか、たとえ生き延びていても状況的に茶屋を開いて団欒とする気分で生きていく事はできないだろう。
やはり世界とは悲劇なのか。
茶屋エンドの可能性
それでも、これらのエンディングに到達した上で唯一あるエンディングが茶屋エンドに繋がる道として期待されている。
それは修羅エンドである。
前述の通り修羅エンドは人斬りの快楽に呑まれた狼が引き起こす葦名ジェノサイドエンドであり、平和な茶屋エンドに繋がる要素がゼロである。
だが、他のエンディングと違って「エンディングムービーに入った時点では狼、九郎様、変若の御子の3名が生存している」というとても重要な要素が存在する。
その他にも
- エンディング時には葦名ジェノサイドについてナレーターが語るが、その語り草では「九郎様、変若の御子が狼によって斬られた」とは一言もないので、万が一にもあの後九郎様を斬っていない可能性が残されている。
- 修羅エンドでは義父の問答にて「御子を捨てる」という選択肢を選んだ狼だが、作中のNPC評から「人相は悪いが優しくて良い奴」と言われまくっている狼が、本当にあんな掟で心中から御子を捨ててるとは考えにくいという希望的観測
(修羅に呑まれつつも、同業かつ格上の義父が油断しきった瞬間を純粋に待っていたという説。しかしこれについては梟に話す前の葦名一心との会話で「修羅の影がある=人斬りに快楽を求める可能性がある」と純粋に狼が修羅に至る可能性が示唆されており、梟も復讐された際に狼に修羅を見ているため判断が難しい)
- 修羅エンドのムービー最後に九郎様が狼に向けて叫ぶ「そなたは修羅ではない!」という(悲痛な)セリフ
- 物語の始まりから終わりまで、基本的に狼は九郎様のお願いに「御意」とだけ返し実行するという狼の九郎様大好きっぷり
それらが組み合わさった結果・・・
「そなたは修羅ではない!」と叫ぶ九郎様の声に「御意」と返し、怨嗟の炎を鎮めて九郎様に傅く狼・・・と言うシュールな光景が想像され、そのまま葦名は滅ぼされるが、狼は九郎様と共に茶屋を開き、葦名の生き残りとして喧嘩をふっかける孤影衆や内府、竜胤を求めてやって来る不届きものを悉く返り討ちにしていたら数千人くらい斬っちゃっており、後の時代では鬼扱いされたのでは・・・
という、一周回って鼻毛の飛び交うギャグマンガの世界の話かと思うほど荒唐無稽な、されど狼と九郎様が平和に生き延びている点では限りなく救いのあるエンディングとして修羅→茶屋エンドが想像されたのであった。
しかし、修羅エンドそのものは
- 前例を見るに一度修羅に堕ちると救済(物理)で目を醒ましても「怨嗟の積もり先となる」という業を背負うため、元の狼に戻っても人を斬る限りはいつでも修羅に成り得るし、完全に身を引いても戦国特有の膨大な怨嗟をその身に受け続けていつかどこかで破綻する可能性がある事
- 語り手の重苦しい語り方に語っている間は何の画もないブラックアウトという凄惨な結末を視覚聴覚に訴える絶望感
- 余命いくばくとは言えそれでも死ぬまで内府が手を出せなかったあの葦名一心を屠り、竜胤も偽りの竜胤も斬り殺せる不死斬り二本持ち、かつ相手は不死なので通常火器では絶対に殺せないという対狼への他勢力の詰みっぷり
- その狼は人斬りの快楽に呑まれ怨嗟の炎まで纏ってしまい主の命令など知った事か状態になっていて九郎様と言えど声一つでは止められなくなっていただろう状況
・・・と、とてもここからほんわか茶屋エンドに向かうような展開は見込めない絶望的なエンディングである事に変わりはなかった。
そもそも、SEKIROのエンディングでは修羅エンド以外は不死の呪いから必ず誰かが解放されることになっており、狼や九郎様の生死以上に命を弄ぶ『竜胤』という人智を越えた呪いへの抵抗、そして決着が主題となっている。
修羅(→茶屋)エンドではこの竜胤に対して一切の決着がつかないため、これがSEKIRO世界における最善のエンドかというと一概にそうとは言えない難しい側面がある。ある意味では「当事者たちは幸せだが世界的には何も解決していないメリーバッドエンド」とも言える。
それでも仔犬たちは求める。あり得ないとわかっていても、竜胤に運命を狂わされた狼と九郎様が笑顔でおはぎを作り、縁を結んだ者達が竜泉を片手に語らう平和な結末を・・・
関連イラスト
修羅→茶屋エンドではなく、普通にIFとしての茶屋エンドも二次創作されている。
関連タグ
SEKIRO 隻狼 九郎(SEKIRO) 変若の御子 どうしてこうならなかった