概要
1905年生で、元々は農業やケワタガモを撃つ猟師をやっていたが、1939年からの冬戦争に予備役から招集され、数々の伝説を産んだ。
あまりにもチート過ぎて、アンサイクロペディアではルーデル閣下に次いでお手上げと言う事態になっている。
しかも上司アールネ・エドヴァルド・ユーティライネンは「無傷の撃墜王」エイノ・イルマリ・ユーティライネンの兄で、ピクニックの気分で戦車5両破壊し、対戦車砲を2門鹵獲するという人外。
なお駐日フィンランド大使館によるとフィン語転写した場合「シモ・ハユハ」となるらしい。
フィンランド人からは愛称である「シムナ」
敵であるソ連兵からはБелая Смерть(ベェラーヤ・スミャルチ=白い死神)と呼ばれた
狙撃能力と凄すぎる活躍
狙撃において彼はモシン・ナガンを使用していたのだが、「感覚が狂う」と言う理由からスコープを装備せずオープンサイトで狙撃を行っていた(アイアンサイトよりも高い位置にスコープが付くため射撃姿勢が変わることを嫌った他レンズの光が反射して居場所がバレる事の予防などと言われている)。それでも300m以内の敵は確実にヘッドショットされている。成層圏まで狙い撃つ誰かさん達超してるぞオイ……
以下はその代表例である。
- 一分間に150mの距離から十六発の射撃に成功。(モシン・ナガンはボルトアクションの上、装弾数も5+1のため、最低2回のクリップ給弾が必要)
- シモ・ヘイヘがいるという林の中に足を踏み入れた小隊が1時間後に全滅。
- 気をつけろと叫んだ兵士が、次の瞬間にヘッドショットされた。
- 野営中の真夜中にトイレからテントまでの10mの間にヘッドショット。
- コッラー川の戦いにおいて、わずか32人で4000人の赤軍を撃退している。
- 戦後のインタビューで狙撃の秘訣を聞かれて一言「練習だ」
スナイパーとしての公式記録は505人と伝わっているが実はコレ、正確ではないとされていたりする。当初本人は戦果をカウントしていなかったが、スロ・コルッカというスナイパー(冬戦争におけるもう一人のスオミの白い悪魔)の活躍を知って途中から確認戦果を記録する様になった。その為、開戦当初の狙撃人数がカウントされていない。
加えて彼はサブマシンガンの名手でもあり、前述のコッラー河の戦いではスオミKP-31で多数の赤軍兵を殺しているので、実際にはもっと多くのスコアを記録しているのは明かである。
しかし1940年3月6日、防寒着の背中を砲弾の破片によって切り裂かれた以外、ほぼ負傷した事がなかったヘイヘも、遂に赤軍兵士の凶弾によって左上顎を撃ち抜かれる重傷を負うが、幸いにも長距離偵察に出ていた味方に発見され、一命を取り留める。(収容した兵士いわく「頭が半分なくなっていた」)
彼の顔写真はこの後の治療後の姿が有名で、「白い悪魔」に相応しい外見で知られているが、
実は被弾前の写真を見る限りなかなかのイケメンであったことはあまり知られていない。
負傷から一週間後に意識を回復するも、冬戦争はその前日に終結していたのであった…。
これらの戦歴は参戦してから負傷するまでの約100日間の出来事である。
ぶっちゃけ異能生存体も真っ青だよ……
繰り返すが、彼はラノベや漫画などの空想上のキャラではなく実在した人物である。「事実は小説より奇なり」という諺があるが、あまりのチートっぷりに彼は戦後に五階級特進(兵長→少尉)という、ホントにラノベや漫画も真っ青の昇進を遂げている。
冬戦争後は、地味に猟犬ブリーダーとして余生を過ごしつつ2002年に御年96歳でこの世を去った。
多くの人間の命を奪ったことに関しての後悔は無いようで、「やれと言われたことを、可能なかぎり実行したまでだ」と答えている(彼が従軍した戦争はあくまで母国を守る為の防衛戦であり、奪われた領土を奪い返す以外の他国への侵攻をフィンランドは一切していない)。ただ、軍人として任務に忠実に戦った、それは国を問わず称賛されるべきなのはいうまでもない。
世界の人外共
- 空の魔王ルーデル閣下
- ただの一度も僚機パイロットを戦死させず最終撃墜数352機という「歴史上最も飛行機を撃墜した男」を成し遂げたエーリヒ・ハルトマン
- 公刊の戦史である「戦史叢書」に唯一その個人名を残す不死身の鬼軍曹舩坂弘軍曹
- 大空のサムライこと坂井三郎中尉
- 最強の零戦パイロット岩本徹三中尉など。