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→ 詳細はwikipedia:モシン・ナガンを参照。


概要編集

ロシア帝国の技師達により開発されたボルトアクションライフル

セルゲイ・イヴァノヴィッチ・モシン陸軍大佐が主導しベルギー人銃器設計者のナガン兄弟(エミール・ナガン、レオン・ナガン)が重要なクリップ周りの開発をした事が有名でモシン・ナガンと繋げ名で呼ばれている。だが本国ではモシン大佐からのみで単にモシン小銃と呼ばれている。

使用弾薬は7.62×54mmロシアン弾。銃身命数の延長と汚れ防止のため、銃身内にクロムメッキが施されている。

1945年よりSKSカービン、1950年代にはAK-47によって更新され、狙撃銃型以外は第一線の戦闘部隊で使用されなくなった。

ロシア帝国やソビエト連邦の友好国や組織でも広く使用され、現在でも各地の武装ゲリラが使用している。


もはや骨董品と思われがちではあるが、良好な保存状態の本体と狙撃専用弾を組み合わせれば、現代でも軍用狙撃銃として普通に通用するレベルの命中精度を発揮する侮りがたい老兵である。



必要十分な命中精度、過酷な戦場での雑な扱いに耐える信頼性、AKと2丁持ちしてもそれほどつらくない重量の3点を兼ね備える狙撃銃は今も無いこともあって、そして何より大量生産品で安い本家ロシアでも倉庫から引っ張り出されていまだに現役兵器となっている。


生産数3,700万挺以上。


主なバリエーション編集

M1891

1891年、ロシア帝国陸軍に制式採用された初期型。

初陣は義和団の乱(1900年)。日露戦争(1904年)に於いても使用され、ソビエト連邦時代も改良型が出回るまで製造が続いた。

ロシア国内での生産体制が整えられるまで、フランスの国営[[造兵廠]で生産された。

第一次世界大戦(1914年)時にはアメリカ合衆国レミントン社やウェスティングハウス社に不足分を発注した。

戦後にはハンガリー、ルーマニア、ポーランド、フィンランド、チェコスロバキア、エストニア、中国でライセンス生産され、それぞれの国で改良が加えられている。中にはフィンランドなどほぼ全てを別パーツにする所もあった。

M1891ドラグーンライフル

竜騎兵向けの騎兵銃型。

M1891コサックライフル

コサック向けの騎兵銃型。ドラグーンライフルとほぼ同じ仕様だったが、銃剣が取り付けられない違いがあった。

M1907カービン

1907年頃から1917年まで、騎兵、工兵、通信兵、砲兵などの後方部隊向けに製造された短小型。銃剣を付けることは想定されておらず、照準器近くまでストックが伸びている。

フロロフカ

1918年から1941年までイジェフスクのフロロフキ兵器廠で製造された、耐久年数が過ぎ老朽化したモシンナガンの銃身をショットガンのものに変え民間へと卸された型。安価で買える猟銃として人気を博した。

口径は16、20、24、28、32の5通り。銃身長は670mm~720mmで公式からのバリエーションは11通りあったとのことだが、ユーザーの分解再構築もあったと思われ非常にバリエーションが豊かだった。

M1891/30

1930年に制式採用された改良型。設計や製造面での合理化が計られている。多数製造され、M1891からの改造品も多く、シリーズ最大のボリュームを占める。

照尺はアルシン(※ロシア独特の長さの単位)法からメートル法に改められ、兵士たちに歓迎された。1931年から1937年頃にかけて倍率3.87倍や倍率3.5倍のスコープを載せた狙撃銃型も開発された。

※1アルシン=16ヴェルショーク(約71cm)

M1938

1938年に制式採用されたM1891/30の騎兵銃型。着剣装置は廃止された。全長は1,013mmに切り詰められている。

M1944

1944年に制式採用されたシリーズ最終型。M1938にスパイクタイプの折畳み式銃剣を標準装備している。

OTs-48

2000年以降に登場したモシンナガンのリファービッシュ(再生)モデル。新造ではなく生産から70年以上経過してさすがにガタが来た木製銃床を新品の木製銃床と交換したもの。いつまで使う気だロシア。それだけと言えばただそれだけのモデルで、外観にもそう大差はない。

OTs-48K

上記のブルパップバージョン。全長を850mmまで短縮している。やっぱり木製銃床。モシンナガンを無理やりブルパップ化したせいで、かなり無理のある密造銃じみたデザインとなっている。



仕様編集

M1891M1907カービン
全長1,289mm1,000mm
銃身長800mm510mm
重量4,500g3,550g
弾薬7.62×54mmロシアン弾7.62×54mmロシアン弾
装弾数5発5発
口径30口径30口径

オブレズピストル(Obrez pistol)編集

ロシア革命から存在が確認され始めた非正規改造銃。オブレツとも呼ばれる。

銃身をだいたい4~8インチ(大体10~20cm)にし、銃床を極端に短く切り落としてピストルサイズにしたもの。主にそのまま切り詰めるタイプとストックをそもそも外してピストルグリップにしたタイプの二種類がある。

ゲリラ戦、特に塹壕内戦闘や市街地戦闘に対応させたものであり、切り詰めてストックを無くしたために反動が大きく制御がしにくくなって精度も低下している。

しかし取り回しが良く隠し持ちやすい事から第二次世界大戦まで多用され元祖であるモシン・ナガンはもちろんのこと、三八式歩兵銃Kar98KカルカノMAS-36リー・エンフィールドクラッグ・ヨルゲンセンK31ロスライフルと様々なボルトアクションライフルが改造された。

近年でもこの概念はまだ生きており、例えば2024年4月8日に韓国の江原道春川市で軍用小銃で知人を威嚇したとして逮捕された男から、M1903のオブレズが回収された。


なぜこれ程のシェアとなったのか。

と言うのもこれが生まれた当時付近の小銃は塹壕と鉄条網と機関銃と爆弾が張り巡らされた戦場を挟んで、数百mを撃ち合い互いの戦力をちまちま削り合うと言うのがセオリーであり、取り回しと威力は二の次で飛距離と命中精度が求められた。

故に銃身が長く取り回しが悪い物ばかりだったのだが、それを切り詰めたとなると数十m程度になる近距離戦で必要程度の精度は保証され、サブマシンガンの射程外から弾が届く可能性があり、なおかつ一発で敵に致命傷を負わせやすい小銃弾を使い、それでいてサブマシンガンとそれほど変わらない良い取り回しと言う、物資の限られる人間の需要を完全に満たしたものだったのである。


近年、創作界隈で第一次世界大戦が持ち上げられて知名度が上がったおかげか、それとも軽量化が求められる時代ゆえか再注目され始めており、祖国ロシアのTOZ-106やアメリカ老店舗のサベージの110PCSなどあえてこのオブレズの範囲まで縮小した製品が作られている。


Obrezは英語で言うソードオフに相当する単語でもあり、上記の通り独自カテゴリになっている事から知っている人は散弾銃を切り詰めた場合をソードオフ、ボルトアクションを切り詰めた場合をオブレズと呼び分けていたりする。(実際、英語検索をかけた時に使うとヒットしやすい)


狙撃銃仕様編集

同じ時期の他の狙撃銃と同様に、この銃を改造した狙撃銃が作られた。

ベースはM1891/30で、射撃試験の結果成績が特に優秀なものを選抜して改造を施したものであった。『M1903』をベースとした『M1903A4』や『リーエンフィールド』をベースとした『No.4 MkI(T)』や『九九式小銃』をベースとした『九九式狙撃銃』といったように特定のモデル名は存在しなかった様子である。

狙撃銃に改造するために、機関部上にスコープが備えられたほか、ボルトハンドルを引き上げた際にスコープに干渉しないように、下向きに曲げられたボルトハンドルが付いた専用のボルトに替えられた。

また、歩兵銃仕様の照準ゼロインは着剣状態を前提にして調整されたため、狙撃銃仕様のアイアンサイトのゼロインは銃剣なし状態に合わせている。


  • スコープ

最も初めに使用されたスコープは「PEスコープ」と呼ばれるもので、倍率は4倍であった。

次に「PEMスコープ」(刻印からVPスコープと誤解されたこともある)が開発されたが、最終的にはメイン画像のような「PUスコープ」を搭載した狙撃銃が主力となった。

取り付けは機関部左側にブラケットがあり、そこから真上に立ち上がるステーを介して取り付けられた。このため、真後ろから見るとスコープの真下には隙間があり、スコープを外さなくてもアイアンサイトを覗き込むことができた。


モシン・ナガンは、ヴァシリ・ザイツェフリュドミラ・パヴリチェンコなど数多くの名狙撃手が使用した銃であったが、彼らは狙撃仕様ではない通常の歩兵用の物を使うことも多かったそうである。



フィンランドとモシン・ナガン編集


無題


フィンランド人はロシア人以上にモシン・ナガン小銃を使い慣れている

元はロシア帝国の一部であったフィンランドは、ロシア革命を好機に独立する際、国内に保管されてるモシン・ナガンを押収し、さらに諸国が第一次世界大戦中でロシア軍から鹵獲したモシン・ナガンを積極的に輸入して、それを自軍の主力小銃にした。

続いて国内の銃器種類を統一すべく、独立初期の内戦が終わると、フィンランド政府は不要となる、列強から援助として貰った別種の小銃を、物々交換の三角貿易で他国で死蔵されてた鹵獲モシン・ナガンと交換した。

大量のモシン・ナガン小銃を集めたフィンランド人は、状況が悪いものを部品取り銃にして、改修品または「新しい」モシン・ナガン小銃を寄せ集めパーツで組み直して自家生産し始め、これが21世紀の現代に至るまで高く評価されるフィンランド銃器製造業の起源となる。

(国産初期にスイスのSIGとドイツの製鋼会社組合から銃身を輸入したため、一部のフィンランド製モシン・ナガンの銃身にそれら会社の刻印があって、スイス産かドイツ産と誤認されることもあった。)

戦間期にフィンランド人は何と、正規軍と予備役の民間防衛隊「白衛軍」は別々に独自仕様のモシン・ナガンを開発していた。流石にこれは非効率的で仕様を統一しようとする際、両方はぼくのかんがえたさいきょうのモシン・ナガンについてかなり揉めていて、ソ連から喧嘩を売られた冬戦争の直前でようやく共通仕様を確定したの有様であった。しかもこのM39新型小銃と共に摩耗される古いモシン・ナガの銃身に特化する7.62×53mmRというフィンランド独自のモシン・ナガン専用弾は導入された。(従来の7.62×54mmR弾も発射できる)また、揉めた甲斐があって、このフィンランド製M39型モシン・ナガン小銃は、狙撃用のカスタムオーダーメイド物を除けば、制式量産されたあらゆるモシン・ナガン小銃の中では最高のモデルと評価されてる。

なお「白き死神」と呼ばれるシモ・ヘイヘ(後述)が使用したのは1930年代で製造された民間防衛隊仕様のM28-30。このM28-30はM39に次ぐ高く評価されているモデルで、特注品ではあるが1937年ISSF世界射撃選手権大会のライフル競技に使用されて、フィンランドチームはこの銃で優勝した。予算のない白衛軍では、メンバーが自費で製造改修資金を払えば小銃を家に持ち帰って使用しても良い計画を実施していたため(法的には白衛軍の財産で除隊する時は部隊に返還)、戦前のヘイヘはこの方法で小銃を部隊から借りてハンターをやっていた。

大戦後に自動小銃が普及し始め、ボルトアクションのモシン・ナガンは旧式となっているが、蔵に第二次世界大戦中、自力でソ連兵から殺してでもうばいとる物と、ドイツから輸入した鹵獲モシン・ナガンが追加されたためか、フィンランド人は余剰部品を使って1970年代までにモシン・ナガンを細々と製造していた。(ソ連と東側諸国では1950年代すでに生産終了)

また、フィンランドはロシア人も震え上がるスキー狙撃兵を擁するバイアスロン大国でもあるため、大戦後に光学式照準器の供給※が改善されるとモシン・ナガンを射撃競技用にも近代化改修した。それら射撃競技用銃をベースとする複数の新型軍用狙撃仕様モシン・ナガンも作られて、何と2020年代までフィンランド軍に正式配備されてる。中には1890年代で生産された最初期の部品を使う個体も存在すると噂にされてる。

そのような歴史から、現代フィンランドにもモシン・ナガンを民生用銃器として愛用するハンターとスポーツシューターは少なくない。


※:大戦以前にフィンランド国内にある光学式照準器は少ない+低性能で、シモ・ヘイヘのようにそれを嫌うフィンランド兵は多い。


フィンランド製モシン・ナガン戦前生産型の解説(英語)


フィンランド製モシン・ナガン戦後近代化改修型の解説(英語)








余談編集

  • 冬戦争シモ・ヘイヘがモシン・ナガンのフィンランド改良型「M28-30」をスコープなしで使用し、500人以上を狙撃したと伝われる。
  • 映画「スターリングラード」(2000年)でのヴァシリ・ザイツェフジュード・ロー)使用銃。
  • 付属する銃剣は一貫してスパイク式であった。一時シモノフ技師が改良案として1936年に提出した半自動小銃と共有のナイフ型銃剣を付けられるようにした物を同年に提出したが却下されていたりする。
  • 独ソ戦においてドイツ軍は大量に鹵獲したモシン・ナガンに自軍の呼称を与え準制式兵器として扱ったが、初期型M1891は照尺がアルシン法だったため扱いに苦慮し、国民突撃隊などに支給した。
  • Escape_from_Tarkov』(略称は『EFT』『タルコフ』)というオンラインFPSゲームの日本人プレイヤーの間に「モ神教」という新興宗教が存在してる。
    • というのも、『タルコフ』はリアリティ高い銃器システムがセールスポイントで、ゲーム内にモシン・ナガンは低コストで入手できる古い銃でありながら、運用次第に全身最新型装備ガチガチの相手でも屠れる力を秘めている。このため、ゲーム内に高価格な現代銃器より、あえて古いモシン・ナガンで戦うプレイヤーが現れて、2021/2/21に投稿されたある実況動画きっかけにモシン・ナガン小銃を神として祀る宗教の形を取るミームとなっている。





架空作品内に登場するモシン・ナガン使い(作品順)編集




関連イラスト編集

しも・へいへ・改старший сержант

Mosin-Nagant◆人形战争 GF:01


関連タグ編集


三十年式歩兵銃三八式歩兵銃 - 基本設計は同じなので合わせて通称「有坂銃」、 同時期に採用された軍用小銃。日露戦争から第二次世界大戦終結までの約40年間、何回も死闘を繰り広げた。しかし様々な理由で、開発者の日本軍ロシア軍、そしてフィンランド軍を含めて、両銃を同時に使用していた軍隊は多かった。基本的にライバル、時々戦友の腐れ縁でもあった。一般的に操作性と撃ちやすさの有坂、パワーと頑丈さのモシン・ナガンと評する。


アーネスト・ヘミングウェイジョージ・オーウェル - スペイン内戦に参陣した作家。二人ともモシン・ナガンを使用したことがある。オーウェルは小銃を持つ仲間と、ヘミングウェイは自分で操作中の写真を残した。


小銃 ロシア軍 ソ連軍 SVD

シモ・ヘイヘ スロ・コルッカ

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