概要
後装式小銃の歴史は17世紀前後に始まるという説があるが実戦でまとまった数が運用された代表的な事例は18世紀後半のアメリカ独立戦争が最初だと言われている。ファーガソンライフルといわれたそれは、最初期の後装式ライフル小銃ではあったが、雷管を使用した近代小銃なく、火薬とともに薬室に元込めした弾丸を当時のマスケットの主流と同じフリントロック式で打ち出す仕様だった。
それでも天候に左右されず毎分6~7発の間隔で打ち出せたそれは当時としては画期的であり、数さえ揃えば十分英国軍が新大陸の植民地軍に対して優位に立てた可能性はあったとされる。
結果的に言えば、数が揃わなずその上、開発者自身も戦死してしまったことから歴史に埋もれていく。
ドライゼ銃が登場するのはそれから50余年過ぎたころ1836年である。
ヨハン・ニコラウス・フォン・ドライゼによって開発されたその銃は、弾丸・雷管・黒色火薬を紙製の薬莢で一体化させたものを備えたその銃は再装填のし容易さから匍匐前進という画期的な戦術を産み出すことになる。
紙薬莢に長い撃針を突き刺し、火薬を貫いて雷管を打つ構造から、非常に長い撃針が出る事からニードルガンとも呼ばれた。
1866年の普墺戦争などで活躍した本銃はプロイセンの躍進と結果的に各国のボルトアクション小銃の普及を急速な促進をもたらした。
が、皮肉にも1830年代とかなり早い時期に開発されたため、一躍有名になった普墺戦争時点で既に周知の技術であり、普及すると同時に急速に性能が陳腐化。
薬室が大きく改善されたシャスポー銃、紙薬莢よりはるかに性能も使い勝手がよい現代式金属薬莢のスナイドル銃と比べると射程に劣っている。
当時は第一次世界大戦以降の数名単位で戦う分隊戦術はまだ成立できておらず、伏せた数十・数百名の大部隊の長距離弾幕射撃で戦うため、現代戦と違って射程負けすることはかなり致命的。
1870年の普仏戦争ではフランス兵に撃ち負けてしまうために砲兵を前線に繰り出して強引に戦うことも多くなってしまい、戦後は金属薬莢式のモーゼルライフルに急速に置き換わっていくこととなる。