国鉄時代のお座敷列車
元々は陳腐化した旧型客車を安価に延命する苦肉の策という意味合いが強く、傷んだ調度品を撤去しつつ開き直って徹底的に古風な雰囲気を演出したものであった。
開業当初の鉄道が駕籠か何かの一種と思われ、履物を脱いで乗車する客が後を絶たなかったという逸話を考えると、その時代にまで後退させた事になる。また、江戸時代以来の屋形船をレールの上に載せたとも言える。
中には郷土料理を振舞うなど接客の工夫で不足を補おうとした列車もあったが、戦前の技術そのままに走る居住性の悪さゆえ、落ち着いて食事など楽しめる環境ではなく定着しなかったという。最初期のグループはオハ35やオハ61を台車もそのまま畳敷きにしただけで、冷房も無しだった。
その後客車列車自体が衰退してくると、冷房等を完備した新型車をも延命する必要が生じ、なし崩し的に居住性の向上が意識されていく(スロ81系も旧客ながらこの流れの中に存在するグループである)
・・・どころか、好景気も手伝って次第に魔改造の腕を競い合う様相を呈し始める。
障子や衝立で個室空間を作るのは当たり前、新型車ならではの優秀な発電機能でビデオやカラオケを動かしたり、果ては坪庭状の巨大なオブジェを載せるなど完全に居酒屋でも建ててるかのようなノリが支配した。
もちろんそのような車両を定期列車に充当できるはずもなく、「ジョイフルトレイン」として全く独立した運用を組む事が一般的となり、貸し切りにした車内でむしろ積極的に宴会を開く事を奨励するようになった。
その顛末はジョイフルトレインの記事に詳しい。
一つだけ述べるとすれば、そのような使い方をされる車両はもう現存しないという事である。
現代のお座敷列車
「お座敷列車」という存在が消滅したわけではなく、少数ながら新規製作も続いている。
その中心となったのは、皮肉にも国鉄~JRから切り捨てられた第三セクター各社である。
それらは出自もあってジョイフルトレインのような車両を看板列車に据えたがる傾向が強かったが、体力的に豪華な設備はおろか、貸し切り専用の車両を保有する事自体が困難であった。
そのため定期運用が可能な程度に小規模かつ実用的な車両で、個人客を獲得してゆかざるを得なかった。一種の原点回帰であり、それがかえって功を奏したのである。
全盛期のお座敷列車が居酒屋なら、現代のそれは古民家カフェにあたる存在と言え、非日常的な雰囲気を楽しめる空間を演出する事に主眼を置いた展開をしている。そこに交通機関としての利便性まで加われば、現代でも十分通用するというわけである。