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タイテエムの編集履歴

2022-01-02 17:55:14 バージョン

タイテエム

たいてえむ

1970年代に活躍した日本の競走馬。

概要・経歴

1969年4月14日生まれ。セントクレスピンを父に、ヴェンチアを母父に持つ良血馬で、四肢の足先が白く染まった四白流星の華やかな馬体から貴公子と称された。


この馬はイギリスで交配され、母馬が受胎した状態で日本にやってきた後に生まれた持込馬だが、クラシック5大競争及び天皇賞への出走規制が敷かれる直前の母馬輸入・出産であったため、クラシック・天皇賞へ出走することが出来ている。


栗東の橋田俊三厩舎に入厩し、1971年10月に鞍上へ楠孝志を迎えてデビュー。単勝1番人気に推されるも8着と惨敗。初年は3戦1勝で休養入りした。

1972年は調子が好転し、休養明けに早速2連勝。当時は馬インフルエンザ流行の関係で春の競走スケジュールに遅れが生じており、クラシックへの出走を見越して東上。スプリングステークスではヒデハヤテを破って一躍クラシック有力候補となる。そして迎えた皐月賞野武士と称されたランドプリンスに敗北。続く東京優駿では3着に敗れる。


秋の神戸新聞杯、京都新聞杯で連勝するも菊花賞では勝ちを収められなかった。


1973年は京都金杯よりスタートするも4着。レース後は休養し、休養明けのマイラーズカップでは不良馬場を克服して勝利。春の天皇賞は発走直前に豪雨に降られ、出走馬のスガノホマレが骨折して競走中止になるなどの大乱戦となったが、白いメンコを泥で真っ黒にしながら優勝を果たした。

その次の出走となった第14回宝塚記念ではハマノパレードに逃げ切られて2着。更にレース直後に鐙が切れて騎手が振り飛ばされて放馬。その際にタイテエムが転倒してアキレス腱を故障。橋田調教師は有馬記念で復帰させることを目標に療養入りさせるが回復が間に合わず、10月14日に引退を発表した。


引退後

引退後は種牡馬入り。シンチェストコーセイなどを輩出し、内国産種牡馬不遇の時代に一定の成績を残した。


1992年に種牡馬からも引退。馬主が北海道に用意したメイタイ牧場で余生を送っていたが、満足に歩けなくなるほど老衰が進み、1994年10月23日に老衰で死去した。享年25歳(旧馬齢表記)


余談

2022年1月1日、メイタイ牧場の公式Twitterが以下のツイートを投稿。

タイテエムのウマ娘化オファーツイートで大きな話題を呼んだ。

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