概要
東京都台東区蔵前にあった玩具会社。1917年に高徳商店として創業。その後高徳玩具→高徳商事→タカトクを経てこの社名になった。
ダイキャストを使用したZ合金や玩具の銃、電子ゲーム、さらにはボードゲーム(生き残り頭脳ゲーム)等を販売した。
また、キャラクタービジネス系統も非常に手広く行っており、そこから「マスコミ玩具のタカトク」と評価されており、バンダイ関係者も「先発はタカトク」と証言している。
『赤胴鈴之助』『鉄腕アトム』『ウルトラマン』『サンダーバード』の玩具も手掛けた。
『仮面ライダー』の変身ベルトもバンダイより先に発売している。
しかし、この「変身ベルト」において子どもがお小遣いを少し貯めて買うものとして想定し、そのためにコストを抑えギミックの無いものを出した事が、後の凋落の端緒となった。
子どもへのクリスマスプレゼントとしてタカトクの変身ベルトを買ったポピー(バンダイグループ)の社員が、自身の子どものためとしてタカトクのベルトをTVと同様の音声とギミックが出せるように改造し、これがものすごく子どもに喜ばれた事から、なんと商品化してしまったのである。
当時、玩具の商品化は価格帯契約であり、タカトクは玩具は子供のためのものとして低価格帯で契約しており、高価格帯の契約は交わしていなかった。その空いていた高価格帯枠をポピー(バンダイ)に押さえられてしまう。
子どものために親がおもちゃを買い与える、という行為は70年代まではとんでもなく贅沢なことであり、同時に流行に左右され寿命が短いキャラクターものともなれば家計にとっては金をドブに捨てるに等しく、基本的におもちゃは「理を諭して(ないしは問答無用の理詰めで)我慢させる」あるいは「お手伝いなどで自ら金を貯めて安いものを買わせる」ものである事が常識であったため、その状況に慣れきっていたタカトク側にしてみればポピー・バンダイ側の「子どもの手がどうあっても届かない高品質の高級品を出して子や孫に甘いお父さん・お母さんやおじいちゃん・おばあちゃんにプレゼントとして買わせる」という手法は、ちょっと昔の高度成長前としては「常識外れ」と言えるものであった。タカトクは玩具の需要において、親需要が増していた時代(消費者意識)の変化に気づけなかったのである。
なおトミー〔現在のタカラトミー)も同様の理由で長らくキャラクター玩具への参入を躊躇したあげく、一時期ジリ貧状態に陥っている。
結果、ポピーの改造変身ベルトは大好評となり、東映は自社キャラクターの玩具商品化をポピー、バンダイへと傾斜。のちに複数の他社もこれに追随する事となった。
キャラクターコンテンツの強者である東映(他、関連の数社)に見限られたこの事件が、のちのちまで大きく響く「マスコミ玩具のタカトク」の最初にして最大のつまずきとなった。
それでもタカトクはそれまでの実績から、キャラクター玩具3位の位置になんとかとどまり、のちにはタイムボカンシリーズ各種の玩具や、超時空シリーズ、J9シリーズ各種の玩具も発売している。特に歴史に残る傑作玩具として名高い『超時空要塞マクロス』のVF-1バルキリーなど当時としてもかなりの完成度の高い変形玩具を販売する。
因みにスペースガンダムVについては韓国の玩具メーカーへ許諾を与えた。(但し、玩具販売のみで、アニメの製作については製作プロや代理店には無許可だった)
しかし、東映のコンテンツにはポピー・バンダイがいるため多くの子ども向け人気作を見逃さざるをえなかった事や、スポンサード作品の多くが苦戦したことで、1984年に倒産した。
倒産後、一部金型はバンダイに流れ、その中には更に米国のハズブロ社に渡ってトランスフォーマーシリーズに流用された事があった(ただし日本国内では版権の都合上未発売)ほか、VF-1バルキリーは近年にいたるまでパッケージの体裁を変え数度再版されている(近年の再版分の、金型自体は金属疲労が原因で再製造されているが、設計はタカトク由来そのまま)など高い技術がうかがえた。また、玩具販売に至らなかった超攻速ガルビオンの金型はチープトイメーカーに流出し、後述するビークラフトがチープトイ開発に携わっている。
なお、倒産時課長だったスタッフ主導で設立されたビークラフトはバンダイのみならず多くの玩具会社の設計等で名を馳せている。
また、生き残り頭脳ゲームについては2003年になってパズルゲームメーカーのハナヤマの手によって「サバイバルゲーム」と言う名称に改めた上で復活、2020年3月には「ステイアライブ サバイバルゲーム」へとリニューアルを果たしている。なお、ハナヤマは、タカトクトイスの経営破綻後、電子ゲームのラインナップの一つであったゲームロボットシリーズを引き継いでおり、2020年6月時点でも製造・販売を行っている。