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呉昇桓の編集履歴2022/05/13 02:59:27 版
編集内容:親記事訂正のみ

経歴

1982年7月15日生まれ。韓国・全羅北道井邑市出身。

檀国大学卒業後、2005年にKBO三星ライオンズに入団。1年目から抑え投手を任されていた。この年、韓国シリーズでは3セーブを記録し、新人投手ながら韓国シリーズMVPにも輝いている。

2年目の2006年には47セーブを挙げ、中日ドラゴンズ岩瀬仁紀が2005年に日本球界で記録した46セーブを抜き、シーズン最多セーブのアジア記録を更新した。

2012年には金龍洙(キム・ヨンス)の227セーブを抜き、韓国プロ野球記録を更新する通算228セーブを達成。

第1回・第2回・第3回のWBC韓国代表に3大会連続で選出。第2回大会では抑え投手を林昌勇に譲ったものの、第1回大会ではベスト4に貢献。第3回大会は第1ラウンドの全ての試合に抑え投手として登板したが、第2ラウンド進出は果たせなかった。

2013年オフにNPB阪神タイガースと契約。阪神時代に藤川球児がつけていた背番号22を継承した。2014年・2015年シーズンは抑えを担当し、2014年のレギュラーシーズンに39セーブ、2015年のレギュラーシーズンに41セーブをあげ、2連連続でセ・リーグ最多セーブを達成。

2016年1月にMLBセントルイス・カージナルスとの契約に合意し、4月にMLBデビューを果たす。こちらでもレギュラーシーズンでは抑えを担当。2018年はトロント・ブルージェイズ、シーズン途中でコロラド・ロッキーズへ移籍しプレー。

2019年8月、古巣である三星ライオンズへの復帰を発表。前後してマカオでの違法賭博による72試合の出場停止処分を受けたため、右肘の手術とリハビリを経て復帰戦は2020年6月となった。

8月13日の斗山ベアーズ戦で、阪神での80セーブと大リーグでの42セーブを合わせた通算408セーブに到達。アジア新記録として岩瀬仁紀の通算セーブ記録を抜いた。

2021年8月、元々のメンバーが違反行為で出られなくなったことから、東京オリンピックの代表メンバーに39歳にして急遽召集される。

銅メダル決定戦でドミニカ共和国と対戦、1点リードの状態で8回に登板するが5点を追加される炎上でメダルを逃した。なお、この時彼から勝ち越し二塁打を奪ったのが元巨人ホアン・フランシスコであり、日本の野球ファンにも色々な意味で話題となった。

プレースタイル

オーバースローから放たれるMAX157km/hの伸びのあるストレート「石直球」と、縦に変化するスライダーが武器で、まれにカーブも投げる。ストレートで三振を奪う剛腕投手で、投球回を上回る奪三振数を記録している。

冷静沈着な性格で、ヒットやホームランを打たれても顔色一つ変えずに次の打者と勝負する。感情を一切表に出さないので、打者は彼の調子を読みにくい。彼は韓国で「ドルブチョ(韓国語で石仏の意味)」や「クッパンデザン(韓国語でラスボスの意味)」などと呼ばれている。

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