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編集者:腐ったキノコ
編集内容:最期を明確にしました。

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真珠のきらめき

誰も見たことない

輝きを探し出して

胸に飾ろう

たとえば海の底に眠る

人魚の涙

あるいは潮に流された

月のしずく

その光のかけらは

私の胸でこそ

明るくきらめくはずだ

≪「名馬の肖像」2019年NHKマイルカップ≫

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※本馬をモチーフとした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘シーキングザパール(ウマ娘)参照。

※※以下の馬齢表記は旧表記。

生涯

1994年4月16日生まれ、父シーキングザゴールド、母ページプルーフ。通算19戦8勝。

1996年デビュー、新潟3歳ステークスでスタート直後の逸走から挽回し3着。メジロドーベル(5着)に先着する。デイリー杯3歳ステークスでメジロブライトに5馬身差で勝利するが、阪神3歳牝馬ステークスでは4着に負けメジロドーベルにリベンジを許す。その後佐々木厩舎から森厩舎に転厩する。

1997年GⅠNHKマイルカップまで重賞4連勝するが、ローズステークスキョウエイマーチと対決するも3着、エントラップメントという喉の病気にかかっていたため半年近く休養。

1998年シルクロードステークスで復帰、春のGIは2戦(高松宮記念安田記念)とも雨のため馬場が悪化し4着と10着に完敗。

1998年8月タイキシャトルと共に海外遠征、タイキシャトルが出走するジャック・ル・マロワ賞より1週間早いモーリス・ド・ギース賞に出走。日本馬として史上初の海外GI優勝という日本競馬界の悲願であった歴史的大快挙を達成、フランス・イギリス・日本などのメディアで大々的に取り上げられた。

その後は帰国しスプリンターズステークスでタイキシャトルに先着となる2着に好走。翌年1999年高松宮記念でも2着し安田記念で3着。

アメリカにトレードされ数戦した後に引退し海外で繁殖入り、ダートGI2着9回のシーキングザダイヤなどを輩出する。

キョウエイマーチやメジロドーベルと共に牝馬3強と称された。

しかし、2005年6月10日、当時療養中だったレーンズエンドファームにて、彼女の遺体が発見された。馬体に目立った傷はないため正確な死因は不明だが、雷が直撃して死亡したのではないかという推測がされた。11歳没。(人間ならば44歳ぐらい)

関連タグ

97世代

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