- かつて国鉄~JR東日本に4代存在した列車愛称。
- 国鉄時代、羽越本線に存在した臨時乗降場で現・南鳥海駅の前身。
本項では双方について説明する。
寝台特急「鳥海」の概要
誕生の経緯
寝台特急の「鳥海」は、国鉄がJR東日本になって3年が経過した1990年9月より運行を開始した。運行区間は、上野~大宮~高崎~(上越線)~長岡~新津~(羽越本線)~秋田~(奥羽本線)~青森である。
一方、同じ上野と青森とを結ぶ寝台特急「あけぼの」は1970年に運行を開始。青函トンネルが開通した1988年3月13日の時点では、2往復(国鉄時代は秋田折り返しの1往復を含む3往復だった)が設定された。この「あけぼの」は東北・奥羽線経由(福島より奥羽線に入る)で運行されていたが、山形新幹線の第1次建設工事による福島~山形間標準軌化のため、1往復を上越・羽越線経由に改め、国鉄の終焉にともない一度は姿を消した昼行特急の愛称が復活した。これが「鳥海」である。ちなみに「あけぼの」の別の1往復は上野~(東北本線)~小牛田~(陸羽東線)~新庄~(奥羽線)~青森ルートに差し替えられた)。
2代目「あけぼの」に
本列車の運行開始当時、上越・羽越線経由の寝台特急にはすでに「出羽」(上野~秋田)が存在し、多客時には上越・羽越線の寝台特急が2往復あることもあり重宝されたが、間もなく世はバブル崩壊の時期に入り、「鳥海」は3年後の1993年12月1日に「出羽」を吸収する。
さらに1997年3月22日、秋田新幹線の開業にともない「あけぼの」が廃止されたが、この際「鳥海」自らが2代目「あけぼの」に改称。2014年3月のダイヤ改定での臨時列車化を経て2015年1月まで運行された。
車両は24系客車(牽引するカマは長岡以南がEF64、以北がEF81)が使用されていた。
寝台特急以前の歴代「鳥海」
国鉄時代~JR時代に掛けて「鳥海」を称した列車は急行として3度、特急として2度存在しており先述の寝台特急は最後となった5代目である。ここでは4代目までの「鳥海」について述べる。
- 初代:1950年12月改正で上野駅~秋田駅間を東北本線・奥羽本線経由で運行する夜行客車急行401・402列車に「鳥海」と命名されたのが始まり。6年後の1956年11月、運行区間を青森駅まで延長し、「津軽」に改称され消滅。
- 2代目:1956年11月改正で新たに上野駅~仙台駅間の昼行客車急行「青葉」の秋田編成に命名。併結相手は「青葉」→「みやぎの」→「ばんだい」と変遷したが1965年10月改正で「たざわ」に改称され消滅。
- 3代目:「ヨンサントオ」こと1968年10月改正で上野駅~新潟駅~秋田駅間の昼行気動車急行として「鳥海」の名前が3年ぶりに復活。以後の「鳥海」は、名は体を表すとはこのことか、より鳥海山に近い羽越線の列車の愛称に用いられるようになる。この改正で上越・羽越線経由の夜行急行「羽黒」も「鳥海」に改称、定期1往復のほかに臨時列車を同数設定、多客期は2往復運転とされた。しかし、1972年3月改正で上野駅~秋田駅間の気動車特急「いなほ」が運転を開始したため昼行「鳥海」は運転区間を新潟駅~秋田駅間に変更して「羽越」に改称。夜行の臨時列車1往復も上野駅~新潟駅間の急行「天の川」の秋田延長に伴い削減、旧「羽黒」の夜行1往復のみとなる。その残った1往復も1982年11改正の特急格上げ時に「出羽」に改称され消滅。
- 4代目:上越新幹線開業後、特急「いなほ」の発着駅を新潟駅として上野駅発着の1往復を「鳥海」に改称して「いなほ」から分離。この4代目は、上越新幹線が上野駅に乗り入れた1985年のダイヤ改定で不定期化の上、秋田駅~青森駅間を廃止、さらに国鉄の終焉とともに、JR東日本に引き継がれることなく姿を消してしまった・・・が、JR化後、思わぬ形で定期の寝台特急として復活した(前述)。車輌は485系が使用されたが不定期化の直前には、583系が代走したことがある。
また、寝台特急「鳥海」になってからのヘッドマークのデザインは、実はこの4代目「鳥海」のときに用いられたデザインでもあった。
さらに言えば2代目「あけぼの」(臨時)にも583系が使用されたことがある。
上記のいきさつから、「鳥海」と「あけぼの」はある意味で表裏一体の関係になっていたことがうかがえる。
そのものズバリ「鳥海」臨時乗降場
この(寝台特急)「鳥海」~「あけぼの」号の運行ルートの中心でもあった羽越本線には、南鳥海駅が存在する。駅は山形県酒田市の北部、大字米島小字南鳥海に所在し、もともと国鉄時代に(方角のつかないただの)鳥海臨時乗降場として開設され、のちに常設駅に昇格した際に南鳥海と改称された。
この南鳥海駅は2面2線のホームを持つ無人駅で、普通列車のみ停車する。
ちなみに北隣の遊佐駅は現在「いなほ」号が停車するほか、在りし日の「あけぼの」号も停車した。