概要
大韓民国はその成立以来、韓国併合を巡る歴史問題や李承晩(イ・スンマン)ライン(竹島問題もこの一部)を巡って日本と対立してきたが、1965年の日韓基本条約による国交回復後は日韓は急速に関係が深まり、韓国は日本を模範にして高度経済成長を遂げる。冷戦下、日本の保守勢力の間では、北朝鮮と対峙する韓国には同じ親米西側諸国として友好意識があり、岸信介と朴正煕(パク・チョンヒ)(この2人は満州国時代の人脈もあり仲が良かったとされる)に代表される日韓の支配層は親密な関係を築いていた。
しかし、韓国社会の根幹ともいえる反日意識が消える事はなく、そもそも歴史に関する関心が低い日本側との意識とは著しい落差があった(日本の左派には、軍事独裁政権支配下の韓国への批判的意識も強かったが)。
1990年代には韓国も民主化が進むが、韓国が出来たばかりの頃である李承晩時代からの歴史や国語における、俗に「反日教育」とも言われる愛国的教育を受けた戦後世代が韓国社会の主流を占めるようになっていき、日本統治時代を知っていた政治家が重鎮として健在だった時代には存在していた対日外交のバランス感覚が失われていく。
一方で日本側では、2002年のFIFAワールドカップ日本単独開催に韓国が強引に割り込み結果として歴代最低のワールドカップと称されるまでに引っ掻き回し、韓流ブームの捏造ゴリ押しで悪い意味で韓国に注目が集まり、これに伴って韓国人の間で流布している伝統的な反日意識も知られるようになり、結果的には日本人の嫌韓意識を煽る結末となった。
韓国人の反日意識は1998年に日本の文化が解禁されるようになってからは緩和してきていると思いきや実はそうでもなく、日本ではあまり知られてないだけだった。
日本人は日本人で韓国の反日精神の他にも韓国による盗作や起源主張などの行為も知って、韓国を嫌う人が爆発的に増えた。
結論を言うと、日韓友好とは「韓国の事を全く知らなかった日本人による一方的な勘違い」でしかない。
ただし東日本大震災の時に「がんばれ、日本!」というメッセージがあったように、日本に対して友好的な人は確かにいる。
このことから国同士の友好は難しいが、人同士の友好は可能と言える。