概要
首都 | ルサカ |
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面積 | 75万2617平方キロメートル |
人口 | 1947万3125人 |
建国 | 1964年10月24日(イギリスより独立) |
公用語 | 英語 |
国家元首(職) | 大統領 |
政体 | 大統領制 共和国 |
ザンビア共和国(ザンビアきょうわこく、英語:Republic of Zambia、読み:リパブリック・オブ・ザンビア、通称:ザンビア)は、アフリカ南部に位置する共和国。イギリス連邦加盟国で、かつてはイギリス領北ローデシアだった地域である。2018年6月に発表された世界平和度指数ランキングでは163か国中48位に入り、アフリカで最も平和な国の1つとして評価されている。しかし2021年6月に発表されたランキングでは71位に転落した。
内陸国であり、コンゴ民主共和国、タンザニア、マラウイ、モザンビーク、ジンバブエ、ナミビア、アンゴラの7つの国と国境を接している。
この国と南に隣接するジンバブエとの国境には、国名の由来になったザンベジ川が流れており、この川には世界3大瀑布の1つと称される「ヴィクトリアの滝」がある。アフリカを代表する動物であるゾウ、カバ、キリン、シマウマ、ヌーが多く住み、大自然が大変良く残されている。
歴史
1888年10月にイギリスは南アフリカ会社を設立し、1889年12月に勅許が与えられた。1890年1月にローデシアが成立し、現在のジンバブエとザンビアを領域とした。1911年8月に北西ローデシアと北東ローデシアが合併し、北ローデシアが成立した。
1924年4月にイギリスはこの地を保護領として統治し、1953年8月にジンバブエ・マラウイと共にローデシア・ニヤサランド連邦の一部となった。1964年10月に北ローデシア植民地政府のケネス・カウンダ首相と統一民族独立党によって独立した。
独立した直後に国際連合に加盟し、経済制裁決議に従ってアパルトヘイトを敷いていた南アフリカ共和国との経済関係を断絶した。1965年11月にイアン・スミス首相がローデシアの一方的な独立宣言を行うと、ローデシアに対する経済封鎖に加わった。
国際関係
中華人民共和国
1964年10月に外交関係を樹立し、独立以来友好関係にある。1976年7月にザンビア中部からタンザニアのダルエスサラームまでのタンザン鉄道を建設し、ザンビアの経済がローデシアと南アフリカ共和国に与える影響を軽減した。1996年6月に投資の相互促進と保護に関する協定が締結され、2007年2月に両国の経済圏が設立された。
2005年4月に発生した工場の爆発事故・2006年7月に中国人の賃金未払いによる労働者デモで中国人監督が労働者に発砲した事件などで、ザンビア国民の中国への感情は悪化してきている。同年9月に実施された大統領選挙に野党愛国戦線のマイケル・サタ党首が出馬し、サタは中国追放論を主張した。結果は敗北したものの28パーセントの支持を得ており、首都のルサカでは選挙を争ったレヴィー・ムワナワサ前大統領の3倍の票を得た。
2020年6月に中国が香港国家安全維持法を成立させた時、ザンビアは53か国の支持国の1つである。
日本
1964年10月に外交関係を樹立し、日本はザンビアの援助に力を入れている。経済協力は年間5200万ドルに及び、この額は日本の対アフリカ援助で3番目となっている。
ロシア連邦
1964年10月に外交関係を樹立し、ソ連はケネス・カウンダ大統領にザンビアの独立を承認する電報を送った。1974年11月と1987年11月にカウンダ大統領はソ連を公式訪問し、1977年3月にニコライ・ポドゴルヌイ最高会議幹部会議長がザンビアのルサカを訪問した。
1967年5月にソ連とザンビアは経済技術協力に関する政府間協定を締結し、貿易・経済における2国間の活動の発展を大幅に後押しした。1971年12月に貿易協定を締結し、2国間貿易において最恵国待遇を相互に提供する事を規定した。
1991年12月にザンビアはロシア連邦をソビエト連邦の後継国として承認した。2012年8月にウラジーミル・プーチン大統領とマイケル・サタ大統領は、経済的要素に重点を置いて2国間協力を構築するという相互の意思を表明した。
2017年4月にロシアとザンビアは、武器の供給と予備部品の配送を含む契約を締結した。
その他
- 1964年10月に開催された東京オリンピックの期間中は、北ローデシア代表として参加した。丁度閉会式があった日に独立し、それに合わせて国名が改称されてザンビア代表となり、閉会式にはザンビア国旗を掲げて入場行進を行ったというエピソードがある。
- 『ゲゲゲの鬼太郎』アニメ第5期のキャラクターについては、魔女ザンビアを参照して欲しい。