ピクシブ百科事典

モザンビーク

もざんびーく

アフリカ大陸南東部の共和制国家「モザンビーク共和国」のこと。

アフリカ大陸の南東海岸に位置する共和制国家「モザンビーク共和国」のこと。
国名は北部のモスリル湾の入口にあるモザンビーク島から。
モザンビーク海峡を挟んで東にマダガスカル島がある。
公用語ポルトガル語だが、英語も広く用いられる。

国土面積799,380平方キロメートル、人口2,392万人(2011年)。
国土はザンベジ川により北部と南部に分けられる。北部には台地や高原が広がり、南部には広い低地がある。熱帯雨林サバンナが大部分を占めるが、南アフリカに近いマプト市周辺は5月から10月にかけて平均13~24℃と、過ごしやすい気候となっている。

首都のマプト市(人口約124万人)は国土の南端近くにある天然の良港で、19世紀末に南アフリカのプレトリア市とを結ぶ鉄道の開通により人口が急増した。

主力輸出品はエビカシューナッツなどだが、鉄鉱石無煙炭マンガンチタン宝石などの鉱産資源も多い。
内戦終結後のモザンビークは年率8%の経済成長を実現したが、国民の70%が貧困ライン以下で、失業率も54%に達し、教育水準も低い。

モザンビークの歴史

17世紀半ばにポルトガルによる植民地支配が確立し、奴隷貿易で栄えた。

1869年11月、スエズ運河が開通。貿易拠点としてのモザンビーク島は衰退に向かう。
1898年、植民地の首都をロウレンソ・マルケス(現・マプト市)に移転。
1891年、イギリスの圧力に屈したポルトガルはイギリス・フランス資本の「モザンビーク会社」、「ニアサ会社」、「ザンベジ会社」に司法権を除く自治権を与えた。

第二次世界大戦終結後は独立の機運が高まり、ポルトガルは植民地を「海外州」と呼び変え、本国と対等であるとして国際社会の非難を避けようとした。
しかし、「モザンビーク解放戦線」がタンザニアを拠点に武力闘争を開始し、1964年9月、モザンビーク独立戦争が始まった。ソ連に援助を受けていた「モザンビーク解放戦線」にポルトガルは強権を以て対処した。

1975年6月25日、ポルトガル本国での革命をきっかけに独立を果たし、権力を握った「モザンビーク解放戦線」は一党独裁による社会主義路線を推進した。
1977年、モザンビークと対立するローデシア諜報機関によって結成された反政府組織モザンビーク民族抵抗運動」との間でモザンビーク内戦が勃発した。
1980年、ローデシアが崩壊しジンバブエが独立すると、代わりに南アフリカが「モザンビーク民族抵抗運動」を支援し、農村部での略奪、暴行を激化させ、不安定化工作を行った。
1990年、シサノ大統領は社会主義体制を放棄し、複数政党制と自由市場経済を規定した新憲法を制定した。
1992年、ローマ和平協定が締結され、内戦は終結した。

1994年、国連支援の下、大統領選挙及び議会選挙が実施され、「モザンビーク解放戦線」が勝利した。
1995年、イギリス連邦に加盟した。
1996年、ポルトガル語諸国共同体に加盟した。

外部リンク

モザンビーク大使館

pixivに投稿された作品 pixivで「モザンビーク」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 194

コメント