概要
首都 | ウィントフック |
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面積 | 82万4000平方km |
人口 | 257万人(2022年) |
建国 | 1990年3月21日(南アフリカ共和国より独立) |
通貨 | ナミビア・ドル |
公用語 | 英語 |
国家元首(職) | 大統領 |
政体 | 半大統領制 共和国 |
ナミビア共和国(ナミビアきょうわこく、英語:Republic of Namibia、アフリカーンス語:Republiek van Namibië、ドイツ語:Republik Namibia)は、アフリカ大陸南西部に位置する国、国家で共和国。イギリス連邦加盟国。
首都はウィントフック。
国内にあるナミブ砂漠が国名の由来であり、ナミブはサン人の言葉で「何も無い」を意味する。主要言語はオヴァンボ語で、首都では英語も徐々に使用されるようになっている。
歴史
ドイツ統治時代
1884年4月にドイツの商人であるアドルフ・リューデリッツは、リューデリッツ湾に居留地を設立し、同年8月にオットー・フォン・ビスマルクの宣言でドイツ領南西アフリカが成立した。1904年8月に先住民のヘレロ人とナマ人を大勢殺害し、1907年3月までこれを実行した。1908年4月にヘレロ人とナマ人の捕虜の地位が取り消され、最後の強制収容所が閉鎖された。歴史学者らはこれを20世紀で最初に起きたジェノサイドと見ており、問題は両国の間に禍根を残した。
南アフリカ統治時代
1915年7月にイギリス領南アフリカ連邦が南西アフリカを占領。1919年6月にベルサイユ条約で国際連盟の委任統治領として、南アフリカ連邦が統治する事となった。南アフリカ連邦は1934年にイギリスから完全に独立してからも統治を継続。1960年12月、南西アフリカについて国際連合の信託統治に移行する決議が国際連合総会にて採択されたが、南アフリカは拒否して実効支配を継続した。1961年に南アフリカ連邦は国号を南アフリカ共和国に改称。1966年8月にナミビア独立戦争が開戦。1968年6月12日、国際連合は南西アフリカの区域をナミビアと命名。1990年3月にナミビア共和国として独立。
独立後
2021年5月にドイツのハイコ・マース外相は、声明で「我々は今後これらの出来事を現代の見方に基づき、ジェノサイドと公式に呼ぶ。」と発表した。この時に大量虐殺を初めて認め、援助事業に11億ユーロ(約1470億円)規模の資金提供を実施する方針を示した。
国際関係
独立戦争を支援したMPLA(アンゴラ人民解放運動)、南アフリカ共和国のANC(アフリカ民族会議)とは深いつながり、キューバとも友好関係にある。
社会
人口
2022年6月の推計では272万7409人であったが、世界銀行による集計は257万人だった。
経済
鉱山資源や牧畜に適した気候、豊富な漁場に多様な生態系をもとにした観光業を売りにしていたが、干ばつや新型コロナで経済活動そのものが停滞、多様化や付加価値をつけるべく努力の日々。
渡航
90日以内の観光滞在なら査証は不要だが、パスポートの残存有効期間6ヶ月以上で未使用の査証ページが1ページ以上必要。
日本の外務省によると治安は安定しているが、アンゴラ共和国に接した北東部は地雷や不発弾が残存、またその他の地域でも強盗や詐欺が多発しているため十分注意してほしいとのこと。
関連項目
スワコプムント:国内では避暑地で有名であり、ドイツ統治時代の建物の保存状態が良い。