経歴
1974年2月15日生まれ、父ボールドリーズニング母マイチャーマー。
ボールドリーズニングは当時、種付け料が日本円にして14万円と安く、シアトルスルーは初年度産駒。3年後、種付け中に牝馬に蹴られ、それが原因で翌年他界という最期を迎えている。
母マイチャーマーは重賞6勝の成績を持つが、血統的には雑草血統。
これに加え、生産牧場は繁殖牝馬5、6頭ほどの小さい牧場。シアトルスルー自身、生まれつき右後脚が外向しており、体は大きいにもかかわらず、尻尾はポニーくらいに小さいという容貌から、「醜いアヒルの子」と呼ばれた。セリに出されたが、選抜セリに通らず、一般のセリで1万7500ドル(当時の日本円で約500万円)で落札。落札した2組の夫妻の出身地をとって、「シアトルスルー」と名付けられた。
ところが、競走馬としてデビューすると、圧倒的なパフォーマンスを披露。2戦2勝で挑んだシャンペンステークス(当時は2歳戦の中で最も格が高いレースとも言われた)を10馬身差で圧勝すると、翌年の1977年、史上初の無敗でアメリカ三冠制覇を達成。アメリカ年度代表馬に選出された。
1978年、後輩3冠馬アファームドとの3冠馬対決を3馬身差で制す。その次走で134ポンド(≒60.8kg)のハンデを背負いながら優勝し、有終の美を飾った。競走成績は17戦14勝2着2回。
そして、種牡馬としても一流だった。セリで落札された価格の700倍弱の1200万ドルのシンジゲートが組まれ、種牡馬入り。初年度からGⅠ馬を輩出し、1984年には北米リーディングサイアーを獲得、その後2000年まで多数のGⅠ馬を排出した。
2002年、種付けシーズン中に持病が悪化。5月7日に28歳で亡くなった。
産駒としてエーピーインディ・スルーオゴ-ルド・ダンツシアトル・タイキブリザードなど輩出。
特に、エーピーインディは競走馬としても、種牡馬としても大成功した。そのため、後継種牡馬はエーピーインディを通して多数。日本でもカジノフォンテン、ミューチャリー、テーオーケインズなどの直系をたどるとシアトルスルーにたどり着く。
現在のボールドルーラー系の主軸、と言うかほぼボールドルーラー系≒シアトルスルー系にまでなっている。
ちなみにその半弟のシアトルダンサーは31億円もの値段が付いた。
シアトルスルーの700倍以上の値段であるが、GⅡ2勝と数頭のGⅠ馬を出して面子は保った程度に終わった。
備考
雑草血統、零細牧場、馬体の悪さと評価されなかったにもかかわらず、競走馬、種牡馬として大成したことから、「アメリカンドリーム」を体現した馬とも言われている。
ちなみに、同期にはアメリカから日本に渡り、その日本で圧倒的なパフォーマンスを見せた馬がいる。この馬も後に種牡馬として成功した。
関連項目
セクレタリアト:同じボールドルーラー系の先輩アメリカ三冠馬。