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ピーター・アーツの編集履歴

2022-10-22 00:04:17 バージョン

ピーター・アーツ

ぴーたーあーつ

オランダ出身の男性キックボクサー。K-1グランプリの創成期に活躍した。

概要

ピーター・アーツ/Peter Aerts(1970年10月25日~)

ベスツ村(オランダ)出身の男性キックボクサー


K-1グランプリの創成期に活躍。右ハイキックを得意技とし、アンディ・フグアーネスト・ホーストマイク・ベルナルドらと「K-1四天王」と称された。

ニックネームは「怪童」、「ランバージャック」、「ミスターK-1」など。

身長192cm、体重105kg。


1997年途中までドージョー・チャクリキ、2007年までメジロジムに所属し、現在は自身のジムやチャクリキで後進を指導している。


1999年から2004年までエスカップエスエス製薬)のCMに出演していた。


来歴

1970年10月25日、アイントフォーヘン市に近いベスツ村に誕生。父は(ランバージャック)だった。

1979年、ボクサーになりたかったが母に反対され、テコンドー教室に通うが寸止めルールのため面白くなかった。

1984年、ムエタイのジムに入る。

1987年、プロデビューし、勝利をおさめる。

1988年、アーネスト・ホーストと対戦し、判定負け。連勝が8で止まる。エディ・シュムーダーズのジムに移籍した。

1990年、エディ・シュムーダーズとの仲が険悪となり、アムステルダム(オランダ)のドージョー・チャクリキに移籍。

1992年、8年間無敗だったモーリス・スミスに判定勝ち。一躍その名を知られるようになる。


1993年、初開催されたK-1グランプリで優勝候補と目されていたが、1回戦でアーネスト・ホーストに判定負け。

1994年、K-1グランプリ'94で初優勝。その後、1995年、1998年にも優勝。

1999年、K-1グランプリ'99の決勝トーナメント初戦でジェロム・レ・バンナに1ラウンドKO負け。以降低迷するようになる。

2005年、K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYOで決勝戦に進出。ジェロム・レ・バンナに敗退するが、復活を印象付けた。

2010年、K-1 WORLD GP 2010 FINALで決勝戦に進出。アリスター・オーフレイムに敗退するが、K-1最多となる6度の決勝進出を果たした。


2011年、FEGの経営難が表面化し、興行が打てないためアーツはプロレス団体IGFと契約。INOKI BOM-BA-YE、元気ですか!! 大晦日!! 2011などでプロレスをした。自身のジムである「K1 Aerts Dojo」を開設。

2012年、キックボクシング団体GLORYと契約。6月30日のタイロン・スポーン戦を引退試合とする予定だったが、当面は現役を続行することとなった。


関連タグ

K-1 キックボクサー ムエタイ

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