Ernesto Hoost(1965年7月11日~)
概要
手足が長く、身のこなしがリズミカルで、テクニカルなコンビネーションを持ち味とし、試合に勝利した際には「ホースト・ダンス」と呼ばれるダンスを披露した。
1990年代からK-1の主催した大会で活躍し、「K-1四天王」(ホースト、アンディ・フグ、ピーター・アーツ、マイク・ベルナルド)として日本でも知名度が高い。
来歴
1965年7月11日、オランダ領ギアナ(現在のスリナム共和国)に生まれる。
1970年、家族でヘームスケルク(オランダ)に移住。
1973年、サッカーに熱中する。
1980年、地元に出来たムエタイのジム(ソクドー・ジム)に所属。
1983年、初の試合出場を勝利で飾る。
1987年、PKA(プロ空手協会)からのオファーを受け試合に出場するが、3連敗(アーネスト・シモンズ、ジョ・ニーヴ・テリュー、ロブ・カーマン)。ソクドー・ジムを離れ、アムステルダム(オランダ)のボス・ジムに移る。ヨハン・ボス会長(当時)はサバットの第一人者でもあり、ホーストはサバットのテクニカルな技を身に着けることができた。
1988年、アーネム(オランダ)で行われたMTBNヨーロッパタイトルマッチで王座を獲得。ストラスブール(フランス)で行われたヨーロッパサバット選手権大会に出場し、コンバ部門ミドル級で優勝。
1989年、パリ(フランス)で行われた第1回世界サバット選手権大会に出場し、コンバ部門ミドル級で優勝。
1993年4月30日、東京(日本)で行われた「K-1 GRAND PRIX ’93」に出場し、準優勝。12月19日のライトヘビー級を対象にした「K-2 GRAND PRIX ’93」で優勝する。その後はスーパーヘビー級選手と対等に戦えるよう、体づくりに励む。
1997年、大阪(日本)で行われた「K-1 GRAND PRIX ’97」に出場し、初優勝を果たした。
1999年、東京で行われた「K-1 GRAND PRIX ’99 」に出場し、2度目の優勝を果たした。
2000年、東京で行われた「K-1 WORLD GP 2000」に出場し、3度目の優勝を果たした。
2001年6月、メルボルン(オーストラリア)で開かれた「K-1 WORLD GP 2001」予選トーナメントに優勝し決勝トーナメントに進出。12月8日、東京で開かれた決勝トーナメント1回戦でステファン・レコに判定勝ちを収めるも、足の骨折で準決勝を棄権。初のGP3連覇は達成できなかった。
2002年10月5日、さいたま(日本)で行われた「K-1 WORLD GP 2002」開幕戦に出場。当時話題沸騰中のボブ・サップに1ラウンド終了後にドクターストップ負けを喫した。しかしセーム・シュルトの怪我による出場辞退で、12月7日に東京で行われた決勝トーナメントに代理出場し、準々決勝でサップに返り討ちにあいながらもサップの負傷により敗者復活から4度目の優勝を果たした。
2005年、アトピー性皮膚炎の悪化で「K-1 WORLD GP 2005」を欠場。体力の衰えを感じ、翌年に引退する事を決める。
2006年、東京で行われた「K-1 WORLD GP 2006」に出場し、準決勝で前年に王者となったシュルトに判定負け。現役を引退。
2012年、東京マラソンに出場、完走を果たした。
2014年、8年ぶりに現役復帰。WKO世界ヘビー級王座をかけてピーター・アーツと対戦し、判定勝ちで王座を獲得。
※現在は第一線を退き、後進の指導に当たっている。
余談
- K-1ではレイ・セフォー、ミルコ・クロコップ、ステファン・レコに3戦全勝であった。
- キャンディが好物で、家からジムへ行く間に1袋を空にしてしまう事もある程。本人も食べすぎかなと思う事もあると答えていた。