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概要編集

マイク・ベルナルドは、南アフリカ出身のキックボクサー。193センチ。

K-1GP96年準優勝。南アフリカの剛腕、南アフリカの大砲などのニックネームがある。


ジェロム・レ・バンナと共に1995年K-1デビュー、アンディ・フグにKO勝ちしていきなりベスト4、その後もK-1四天王の一角として活躍。

ピーター・アーツが強さ(トータル的な)の象徴、アーネスト・ホーストがテクニックの象徴、アンディ・フグが精神力(心の強さ)の象徴なら、ベルナルドは破壊力の象徴だった。


アーツ最大のライバルで通算6回の対戦は、K-1史上最多対戦カードである。

1996年には前年までK-1GPを連覇し12連勝~15連勝していた、アーツにKO勝ちし連勝を止めたのがベルナルドであった。

1998年後の極真空手世界王者フランシスコ・フィリオに、生涯初のKO負けを味わせたのもベルナルドであった。


さらに負けた試合でもホースト・バンナ・グレコ・セフォーなどからダウンを奪っているなど、そのパンチの破壊力は凄かった。


しかし1999年のGP開幕戦でミルコ・クロコップにKO負けして以降は低迷し(ジャパニーズドリームを実現しハングリー精神が段々と失せていってしまったと本人談)、2001年の予選トーナメントは試合中の金的のダメージの大きさから途中棄権を余儀なくされ、9月の敗者復活を賭けた世界最終予選でもアダム・ワットにKO負けして初戦敗退。

2002年にはゲーリー・グッドリッジに、2003年のGP開幕戦でアレクセイ・イグナショフにKO負けを喫するなど首の怪我が慢性化してKO負けが多くなっていた。


2000年にボクシングに転向。マイナーながら世界ヘビー級のタイトルも獲得したが、フグの訃報と遺言を機に彼の代理でK-1の予選トーナメントに代理出場。

全試合1RKOで優勝したが、決勝トーナメントは怪我で欠場を余儀なくされた(代役はレイ・セフォーが務め、準優勝に輝いている)。


2006年に現役を引退。「キレテナーイ」のフレーズでSchickのテレビCMにも出演する気さくな人柄で大人気だった。


2012年2月に永眠(自宅で家族が死去しているのを発見。死因は不明だったが、のちにうつ病に罹っていると発表され、それによる自殺ではないかとも報じられた)。


アーツとは3勝3敗、フグとは2勝2敗。


入場曲は2001年頃はLarkinsJuice。

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