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概要編集

アダム・ワットとは1967年11月10日生まれ、オーストラリア出身の元格闘家。1990年代前半から2002年まで活躍した。

ニックネームは「オージースナイパー」、「青い目の正道魂」などがある。カウンターフックなどの高度なボクシングテクニックに加え、バックハンドブロー後ろ回し蹴り踵落としなどの変則的な足技も得意とした。


人物編集

正道会館館長である石井和義の誘いで正道会館に入門し、1992年からは前田日明が主催するリングスに参戦。ハンス・ナイマン、後にK-1王者に3度輝いたピーター・アーツなどと対戦した。


1993年からは石井が主催するK-1に参戦し、ライトヘビー級(-100kg)の選手たちによるK-2GPに参戦。準決勝で後に4度K-1王者となるアーネスト・ホーストに敗れベスト4に終わる。


1995年にはシュートボクシングに参戦し、世界スーパーイーグル級王者を獲得した。


1996年にはプロボクシングに転向し、1999年にはOPBF東洋太平洋クルーザー級王者を獲得。2000年にWBO世界クルーザー級タイトルマッチに挑戦するもKO負けし、王座獲得を逃した。


2001年にはK-1復帰を果たし、4月に大阪で開かれたK-1 WORLD GP予選トーナメントに出場。1回戦で前年のGP準優勝で勢いに乗るレイ・セフォーに1ラウンドに2度のダウンを喫しKO負けするも、セフォーが腰を負傷しドクターストップがかかったことで敗者復活。後にGPベスト8になる同じくオーストラリア出身のピーター・グラハムに2ラウンドKO勝ちで決勝進出。決勝ではジェロム・レ・バンナにKO負けを喫したが、準優勝であったことから10月に行われる世界最終予選トーナメント出場権を獲得した。


同年10月、福岡で開かれたK-1 WORLD GP 2001世界最終予選トーナメントに参戦。Bブロック1回戦でマイク・ベルナルドと対戦し1ラウンドに2度のダウンを奪ってKO勝利という大金星を収めた。しかし決勝ではセフォーの負傷で敗者復活を果たしたマーク・ハントと対戦。2ラウンドに2度のダウンを喫し、3ラウンドに目の出血によるドクターストップで準優勝に終わる(皮肉にも勝者であるハントが、グランプリ初戦でバンナを破り、その勢いのままGP王者となった)。


2002年8月、ラスベガスで開かれたK-1 WORLD GP 2002 世界最終予選トーナメント1回戦で同じくバンナと対戦経験があるパヴェル・マイヤーと対戦し、3-0の判定負けに終わった。




獲得タイトル編集

キックボクシング

・K-1 WORLD GP 2001 予選トーナメントin 大阪準優勝

・K-1 WORLD GP 2001 in 福岡 世界最終予選トーナメントBブロック準優勝

・第2代SB世界スーパーイーグル級王座(0度防衛)

・UKF世界クルーザー級王座

・ISKAフルコンタクト世界ライトクルーザー級王座

・ISKAムエタイ世界ライトクルーザー級王座

・WKAキックボクシング世界クルーザー級王座


プロボクシング

・第13代オーストラリアクルーザー級王座(0度防衛)

・第2代OBAクルーザー級王座(1度防衛)

・第3代PABAクルーザー級王者(0度防衛)

・第8代OPBF東洋太平洋クルーザー級王座(1度防衛)

・第10代コモンウェルスイギリス連邦クルーザー級王座(0度防衛)




関連タグ編集

空手 K-1


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キャラクター・人名 スポーツ選手 格闘家

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