ベラルーシ出身のキックボクサー。K-1 WORLD GP 2001年ベスト4。196センチ。ムエタイをバックボーンに持ち、真っ赤なトランクスと強力な膝蹴りから「レッドスコーピオン」、「東欧のサソリ男」などの異名を持つ。
子供の頃、最初はフルコンタクト系の空手を学ぶ、その後はサッカー⇒バスケ⇒スキーなどをしていた、そして16歳の頃にムエタイを始める。
2000年、K-1デビュー、この時はまだ100キロ以下と軽かったが将来性は高く評価されヨーロッパ・ロシア地区予選トーナメントを制覇。横浜での予選トーナメント出場権を得るも1回戦でマット・スケルトンに圧倒され判定負け。
2001年身長からすれば細かったため10キロくらい一気に増量していき、成績も向上。名古屋で開かれた予選トーナメントで優勝しその年のGPに進出。ベスト4まで上り詰める。
2002年以降はさらに5キロほど増量し最終的には110キロ以上に。
2002年は3連勝した後、GP開幕戦でステファン・レコに判定負け、2003年はパリで開かれた予選トーナメントで優勝し開幕戦では2001年に名古屋で決勝を争う予定だったマイク・ベルナルドを破り優勝候補の一角に挙げられるもGP一回戦でピーター・アーツに判定負け、2004年はK-1で3連勝した後、GP開幕戦でガオグライ・ゲーンノラシンに判定負け。これ以降は予選トーナメント敗退(もしくは怪我によるドクターストップ)に終わり、開幕戦に出場することはできなかった。
しかし2003年にバダ・ハリを2004年セーム・シュルトを、K-1以外のキックボクシングの大会ではあるがKOで圧勝している。
2004年ボクシング世界王者アーサー・ウィリアムスに、ローキックで何もさせずにKO勝ちした事もあった。
試合における出来不出来の差が激しい選手だった。アルコール中毒だったからなのか?、急激に増量した悪影響なのか?、練習のし過ぎで疲れのピークが当日に来る事が多かったからなのか?、原因は様々。
K-1ではKO負けした事がない(TKO負けはある)、ダウンするという事それ自体が滅多になかった。
姉が2人いる、姉の1人はイグナショフと双子。