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概要

本名はマシュー・スケルトン。1967年1月27日生まれ、イギリス出身のキックボクサー

WKO世界ムエタイスーパーヘビー級王者。ニックネームは「大英帝国の不沈艦」。

アマチュアキックボクシング10年間無敗で20戦全勝(22戦全勝という説もある)と活躍し、191センチ117キロという体格通りかなりタフな選手(ダウンしたのも1回だけ)として有名になった。

来歴

キックボクシング時代

1998年4月9日K-1デビュー、グレコが怪我で欠場したため当時K-1において最長身211センチのヤン・ザ・ジャイアント・ノルキヤと対戦し判定勝ち。

その後もレイ・セフォーにTKO勝ち、佐竹雅昭をパワーで吹っ飛ばしてKO勝ち、と3連勝。

1998年10月開幕戦でトップファイターの1人サム・グレコと対戦、序盤はこれまで同様に突進系ファイトでグレコを場外に叩き落すなど圧倒していたが、途中からスタミナが切れたのとグレコの反撃により、5Rにフックの乱れ射ちとローキックでダウンを奪われて逆転の判定負け。

1999年シーズン前のインタビューにおいて、イギリスにはマトモなキックボクシングのジムがなくスパーリングパートナーもいない環境、練習時間を削ってバーテンダーをして稼ぎながらの中途半端なトレーニングしか出来ない事などを語っていた。

1999年4月25日、3タイム王者のピーター・アーツと対戦、ウェイトトレーニングとランニングを始めた事により肉体改造に成功し、4Rまでアーツを苦労させて苦しめるがTKO負け。

1999年10月3日、ジェロム・レ・バンナの凄まじいパワーアップにより、パワー系の選手がパワーで圧倒されるという、衝撃的な内容となりKO負け。実況も「あのマット・スケルトンのこんな姿は見た事がない」と絶叫してた程。

2000年4月16日、イギリス予選で3連勝、余裕で圧倒して優勝。

この前後に勤めていたバーが潰れて、K-1に生活の全てを賭けざるを得なくなる。

同年8月横浜の本選トーナメントでアレクセイ・イグナショフを圧倒して判定勝ち、フランシスコ・フィリオのアッパーでKO負け。

2001年、メルボルンの予選トーナメントでの決勝で、3タイム王者のアーネスト・ホースト相手に勝利直前まで行ったが、減点が響き判定負け。

プロボクサーへの転向

K-1でオファーが来なくなったからか、K-1引退後35歳にして2002年からボクシングに転向。

2006年にダニー・ウィリアムズに1-2の判定で負けるまで18連勝。

2008年1月には41歳でルスラン・チャガエフとの、WBA世界ヘビー級タイトルマッチに挑戦する程の適応力を見せた。世界ランキングは15位。

2014年7月12日、47歳でアンソニー・ジョシュアと対戦し2回TKO負けで敗れ、この試合をもってボクシングを引退した。引退後は母国・イギリスのベッドフォードにて「マット・スケルトン・ボクシングジム」というボクシングジムを営んでいる。

余談

  • 前述のとおり、K-1登場後もしばらくの間ホテルのワインバーでバーテンダーの仕事を続けていた。
  • 1999年のインタビューでは非常に照れ屋で、「クマみたいで可愛い」というファンからのメッセージに、手で顔を隠すくらいシャイな姿を見せた。
  • ボブ・サップの4年前に、間合いを潰してくる突進系ファイターの強さを世に知らしめた功績は非常に大きかった。

1999年のインタビューで「日本の記者より11歳の娘の方が厳しい、グレコとの試合後に始めて負けて電話したんだけど、怒られちゃったよ。でも最後に勝っても負けてもパパはパパだからと言ってくれたよ。」と答えていた。

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