佐々木主浩
ささきかづひろ
概要
愛称は「大魔神」。
誕生日の通り2に縁があり、背番号の「22」もそれに由来している。
東北福祉大学から大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)入団。
決め球のフォークボールを武器にリリーフエースとして活躍。
全盛期の勢いと神通力は他球団の抑え投手の追随を許さないもので、他球団からは「横浜との対戦は(佐々木が出てくる)7回までが勝負」といわれ、佐々木が登板するとテレビのチャンネルを変える(佐々木が出てきたらベイスターズの勝ち確定だから)視聴者も多くいたほどである。
1998年には38年ぶりの日本一に貢献し、シーズンMVP獲得。
2000年にはMLBのシアトル・マリナーズに移籍。
2003年に名球会の入会資格に「通算250セーブ以上」が加えられ名球会入りした。
その後、横浜ベイスターズに復帰、2005年引退。
2006年に馬主登録。近年は野球よりももっぱら馬主業に精を出しており、凄まじいまでの馬の引き運で有名。今まで所有した馬はわずか21頭に過ぎないのだがそこからG1馬が3頭出るというとんでもない成績である。自身のあだ名からとった「マジン」の冠名もあるのだが、最近は使われず、代わって馬名に「ヴ」の字を含むのがトレードマークとなっている。
ちなみに「尻尾の無い馬」として有名なハルーワスウィートのファンとして知られており、所有馬もハルーワスウィートの産駒かその血を引く馬で占められている。
自動車好きでもあり、「日本一速い男決定戦」で知られるフォーミュラ・ニッポンに、自分のチーム「Team 22」を2002〜2003年の2年間のみだが持っていた。
現場の運営は由良拓也率いるムーンクラフトが請け負った。脇阪寿一の手により2勝を挙げてランキング3位を獲得している。
野球引退後の2017年には日本最人気のレース・SUPER GTのGT300クラスにおいて、D'station Racingのチーム総監督にも就任している。