概要
合併から現在までの詳細は北九州市を参照。
律令制下では豊前国企救郡(きくぐん)の一地域として、関ヶ原の戦いの論功行賞により豊前国の統治を始めた細川忠興が1602年に小倉城を築く。
以降小倉藩の城下町となり、後に小笠原氏による統治が続いた。
明治維新直後の廃藩置県により小倉県が成立しその県庁所在地となったが、1876年に福岡県として編入。
1889年4月1日に町村制が施行され小倉町が誕生。
1900年4月1日、市制施行により小倉市となる。
そして1963年2月10日、八幡市、門司市、若松市、戸畑市と対等合併し、新設された北九州市の一部となる。
1945年8月9日に長崎市に投下された原爆(長崎原爆)は、元々は小倉市に投下される予定だった。
これは当時の小倉市が工業の要衝であり、壊滅させることで軍需産業の麻痺が期待できたため。
しかし当日は上空の視界不良(早朝に偵察機を視認した八幡製鐵所の職員らが、咄嗟に広島の二の舞になることを察知して溶鉱炉を空焚きし、意図的に充満させた煤煙によるものとされる)により投下できず、代わりに第二目標であった長崎市中心部に投下することとなったが、こちらも雲が多く断念。最終的には予定になかった長崎市北部の旧浦上村に投下された。