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元木大介の編集履歴

2023-01-22 02:01:59 バージョン

元木大介

もときだいすけ

大阪府出身の元プロ野球選手。2022年現在は野球指導者、野球解説者、タレント。 ※イラスト中央の人物

読売ジャイアンツに在籍していた元プロ野球選手。ポジションは内野手。

・・・セコい。以上。


それだけではアレなので概要

上宮高校時代はスラッガーとして鳴らし、強豪PL学園を押しのけて甲子園に3回出場。上宮高校の夏出場は元木が3年だった頃だけである。しかし、守備にも定評があったにもかかわらず、センバツ決勝でサヨナラエラーをやらかし監督にマジ切れされる。夏の甲子園では内野フライを打ってアウトになると思って全力疾走を怠り、また監督にマジ切れされたばかりか、その有様がテレビ中継されてしまう(その内野フライは落球しており、もし全力疾走だったら出塁にはなっていた)。


プロ入り直前にも、福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)の指名を拒否して、一年間ハワイで浪人。翌年ようやくドラフト1位で読売ジャイアンツ(巨人)に入団した。

背番号は37(1991年〜1993年)、2(1994年〜2005年)。


巨人入団後は高校時代の強打者ぶりが影を潜め、内野ならどこでも、外野もレフトを守れる器用さと鈍足、親分清原和博への媚売り、果ては隠し球などの数々のセコセコプレーで一躍最も嫌われるプレーヤーとなった。だがその一方で自身の技術や野球センスは高く、状況に応じた打撃や勝負強いバッティングなどから、長嶋茂雄からは「くせ者」「スーパーサブ」と呼ばれ、星野仙一からも『巨人で一番嫌だったのはお前(元木)だ』と言わしめるほどの実力者であった。実際、鈍足と言われながらも相手投手の癖や配球を分析したうえでの走塁技術はあり、打撃面でも投手の癖やデータ分析を活用しているクレバーな面を持ち合わせていた。


スター選手として活躍するためにある意味では努力を怠らなかったタイプで、セコいプレーでチームに貢献したほか、東京ドームで試合終了後に監督インタビュールームの後ろにある通路をカメラ目線で通り抜けて行くのがお約束だった。

圧倒的な強打者でないにもかかわらず目立っていたことは間違いない。


2005年に巨人から戦力外通告を受けると、巨人以外でプレーする気はないという入団当時からの意思を貫き引退。現役引退後は野球解説者、タレントとして活躍。バラエティー番組「クイズ!ヘキサゴンII」でレギュラー出演していたが、司会の島田紳助の不祥事による降板の影響で番組が放送終了になったり、ラーメン店をオープンし2号店も開業したものの数年で赤字により全店閉店したりと不運にあってはいるが…。


2017年、当時楽天球団副会長だった星野仙一から、U12少年野球日本代表の監督就任を打診された。これは前述の通り星野は元木の現役時代から才能を評価していた為である。翌2018年に星野が逝去した際に話が一時中断するも、別ルートで再度元木に打診があり同年に監督に就任。カル・リプケンU12世界少年野球大会でチームを大会3連覇に導いた。

この時の星野への恩義から、後述の巨人コーチ就任時には星野が中日〜阪神〜楽天監督時代に付けていた背番号77を使用している。


2019年より、打撃コーチとして読売ジャイアンツに復帰し同シーズンの巨人5年ぶりのリーグ優勝に貢献、翌2020年シーズンより同チームのヘッドコーチも務めることが発表された。2022年にはヘッドコーチとオフェンスチーフコーチを兼任。2023年シーズンからは作戦兼内野守備コーチに配置転換。


プライベートでは元日本テレビのアナウンサー大神いずみと結婚、二児の父である。

またカレーライスが嫌いな事でも知られており、槙原寛己選手(カレー星人レベルのカレー好き)がカレーを食べてる際うっかり槇原を侮辱したともみられる発言をしてしまい激昂した槇原にカレーを皿を押し付けられたこともある。

槙原『カレーが嫌いなんてありえない』

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