概要
字の通り80代の親と50代の子供との諸問題についてだが、根があまりにも深いため影響は各方面に派生した。多くの場合扶養関係の逆転に論旨が集中する。
本来、これに類する問題は老々介護(老年夫婦が相互に生活を介助する事に関する問題)同様、少子化問題の一つとして世間に取り沙汰されていた。しかし昨今はひきこもり問題の一環として語られる場合が多い。問題が明るみに出た際に親をバッシングする言葉として重宝されやすいが、本来的には該当する世代の全ての人にのし掛かっている問題である点に留意する必要がある。
事の発端 介護問題
当初は7040問題と言われた。つまり10年前から問題視されていた事案であり、社会学者やNPO法人行政の一部でも扱われていたものである。
当時、定年を迎え要介護の判定を受けながらも、身の周りにいる家族も老いを間近に受け止めており、双方にとって負担を強いる選択を選ばざるを得ない環境が水面下で広がっていた。これについては00年代中盤からメディアでも注目視され、行政も介護事業支援策の充実や浸透によって、施設利用のあり方や在宅介護の手段も増える。これによって今まで「親が老いたら退職して面倒を見る=付きっきり介護」によって職を失っていた人々が減り、労働可能年数も一部延命できるようになった。
後の話にも繋がるが、長いこと日本では老いた親の面倒は全部子供が見るという観念が蔓延しており、介護ホームに送るのは「現代の姥捨て山」、ケアサービスを招くのは「家の恥を晒す」として忌避される傾向があった。そのため、介護は家の者(大抵は長男の妻)が一人付きっきりで面倒を見る=生け贄になるのが当たり前であった。
この意識改革は骨が折れたようだが、超高齢社会を見越した日本国にあっては必要な過程であった。無論、全ての家庭がその恩恵に預かれたわけではないが、絶望から抜け出す活路は用意できたことになる。
しかしこの手の支援策を打ち出すは先に十分な調査や統計が必須であり、行政や専門家達も全てが手探りで始めたため、事の深刻さに気がつくのはもう少し後の事であった。
ひきこもり問題への派生
2010年代に差し掛かる直前になって介護問題とひきこもり問題が接続するのだが、この時既に事態は引き返せないところまで来ていた。怖い話、この手の問題が着眼されはじめるのは、訪問介護に訪れた介護士やヘルパーさんなどが家の中に知らない人が居て、何年も家族が隠していたという事例が報告されるようになってからだった。
というのも、行政は当初ひきこもりを若年層の問題として捉え、調査実施を15~34歳までとしていた。故に中高年のひきこもりは行政によって無視され続けてきたのだが、時は移ろいそうこうしているうちにひきこもり自体が高齢化の道を辿って該当者は61万人に昇り、現在のひきこもり人口は老若合わせて100万人という膨大な数に膨れ上がった。
ひきこもりの原因は種々雑多だが、これが長引けば健康面のリスクが悪化して問題は重篤化する。年金の受給額は年々下がってきており、最悪親子共倒れを起こしてしまう。
https://diamond.jp/articles/-/162579
(地方都市における孤独死と関連した記事。中々に胸糞な事案なので閲覧は自己責任で)
所謂「ヒキオタニート」との関わり
その前にひきこもり問題そのものについて簡単に振り返る。
90年代、当初メディアはひきこもりの原因にいじめや不登校、熾烈な受験戦争や就職活動への嫌気などを見出していたものの、最終的には自己責任の聖句を持って現状打開を当人達に任せ、状況を重く受け止めなかった。(→関連:就職氷河期・新自由主義)この煽り方は世間一般に広く受け入れられてしまい、いわゆる「オタクバッシング」の一環としてもひきこもりの属性は知れ渡る結果となった。
その帰結がどんなものであったか、pixivの利用者たちに改めて語る必要はないが、彼らは社会への興味を極小規模な物を除いて失ってしまった。
こうして00年代、いわゆるニートという概念が新たに醸造され、スケープゴートを求める社会のマジックワードとして乱用されるに至った。だが原語にあたるNEETが英国労働者階級の若者が環境によって社会的参加機会を失ったのに対して、2ちゃんの戦士たちが怠惰によって生まれたのだという指摘は当初から存在した。
しかしここで今一歩踏み込んで、彼らの家庭環境に着目する。
特筆すべきは、彼らの周囲が彼らのあり方を変えようとせず、かつ持続できたことだ。子供部屋おじさんとも揶揄される彼らは、名の通り部屋を趣味の品々で満たし、異様に付加価値の高いモノを買い漁っては3次元的に積み上げ、あまつさえ多々買わなければ生き残れないと言わんばかりに毎年様変わりする関連商品をポチり続けた。
だというのに、彼らは一向に働かなかった。
湯水のようにあふれん限りの彼らの財源はどこから来るのか?
無論、親である。
至極簡単な話であるが、無職ヒキニートを抱える家庭という物は人を余分に養えるだけ収入に余裕がなければ出来る話ではない。彼らは現役時は年収を、定年後は年金をせしめ、咬筋いっぱいに脛を齧りながら最後の一時になるまでしがみ付くつもりであった。
(逆に親や近隣にそのような財源がない場合は、当然自ら身を立てて真っ当な生活を目指すより他なく、そうでなかったからこそ彼らの問題は歪な物として浮き彫りになるのだ)
親世代の問題
何故このような歪んだ家庭環境が生まれたのか。その詳細は家庭毎に違うため断定することは出来ないが、原因のひとつとして恥と諦めが見いだせる。
近年のひきこもり問題として顕著な報告例として「そんな立派なご家庭にあんな子供が居るとは想像もしていなかった」「問題が明るみに上がるまでその存在を近隣住民が誰一人知らなかった」というコメントが上げられる。彼らは外部社会への参加意欲を失ったことをいいことに、親たちによって抹消されていた。即ち、百年前の良家座敷牢の住人が如く、「一家の恥さらし」とされて文字通り封印されていたのだ。
こうなった原因は多種多様だが、8050問題で深刻化したケースでは、親の側に過剰なバイアスが存在していた事例が見受けられる。
この世代、親は1940年代生であり子は1970年代生となる。問題が顕著化する家庭は先述した通り往々にして高収入であり、企業や組織においてはそれなりの地位を獲得していたりする。戦後間もなくの焼け野原を体験していた世代には、「モーレツ社員」とも揶揄された時代の強烈な成長史観バイアスを引きずっており、根性論から率先して塾や稽古事に行かせて期待に沿わなければ叱咤する姿勢が珍しくなかった。
しかしオイルショックやバブル期とその崩壊という、価値観の転換を幾重も経ていた90年代になって、いくつもの家庭が軋轢の中でぶつかり合い、時には崩壊していった。持病や健康状態以外でひきこもりになった場合、多くは若年期の挫折(いじめ、受験、就職、恋愛など要因は様々)をきっかけにして対外的関係を切り捨てた場合が多い。
本来ならば、そういうときこそ対話を繰り返して自助の精神を養い、しっかりと前を向けるよう手助けをするのが親族の役目なのだが、最悪のひきこもり環境が成立するような過程で親は当然かのように厳しく当たり、対話が不可能とみると説得を諦めて放置する。この状態を解消せぬまま持続させた場合、どこかで必ずと言って良いほど下記の会話が繰り広げられていた。
「こんな風に育てたのはアンタじゃないか」
「生まれたくて生まれてきた訳じゃない」
「勝手に産んで失敗したなら、最後まで子供(つまり自分)の面倒を見ろ」
先に逝くのが常の親に子の最期まで面倒を見ろ、とは本末転倒である。
しかしこの手の親世代はプライドも高く、最も指摘して欲しくなかった恥の点を指摘され、有無も謂えなくなり黙るより他なくなる。説得を諦めた親は肉体の衰えを覚え始めると、唯々諾々と子の求める物を与え、世間的には存在を抹消し、疲弊しながらもこの歪な家庭環境を維持し続けることに努めるのであった。
行政がその存在を危ぶんでから20年、2010年代には既に40を間近に見た子世代の社会参加は殆ど絶望的だった。目に見えるところに顔が出ているならば、無理にでも引っ張り出すことも可能だったかも知れない。だがひきこもりが隠匿されている家庭では往々にして(特に母親が)子供の肩を持ち、より社会から遠ざけようとしてしまう。
しかしここに来て彼らの牙城は崩壊の兆しを見せる。
時の神クロノスは、万物へは平等に老いと死を与えるからだ。
我が子を食らうサトゥルヌス
定年後にどれほど高い年金を得ていても、老いによる体力低下は避けることが出来ない。身の回りの事が出来なくなれば、当然費用は嵩む。食べるものが偏れば、当然健康にも被害が及ぶ。この生活が続かないことなど、誰の目にも明かだった。
そして2019年、8050問題に関して悲惨な事件が続き、世間でも注目を集めるようになった。まだ事件の傷も癒えぬ人が居ることを考慮して詳細は控えるが、神奈川県で児童を巻き込んで起きた通り魔事件の加害者は51歳、養護していた縁者は夫婦ともに80歳だった。この事件を知った練馬区在住の某元事務次官は、殆ど同じ年齢関係の家庭にいた。そして実子の横柄な挙動から共通性を見出し、生来の責任感の強さから覚悟を決めてしまい、無敵の人へ墜ちて子殺しという凶行に走ってしまった。
8050問題が取り沙汰される場合、その殆どが扶養関係の逆転にある。顕著になるその先行きの悪さは、他のひきこもり問題や介護問題と違い子供の未来がないことだけではなく問題が解決されないまま親の死後も続くのではないかという疑念がセットになって圧迫してくる点だ。
上記痛ましい事件は確かに親子双方の自己責任とも言え、親が高級官僚だったからこそ起こりえた最低のレアケースとも見られる。だが、子供の自立を欠いたまま親の収入で暮らす8050問題を抱えた家庭は未だ無数に存在し、いつ何がどうなるのか皆目見当がつかない。
終わりに
手っ取り早い解決手段はなんと言っても子供の自助自立、手に職を付けて真っ当な生活を持続させる、親から距離を取って死後も安定して暮らせる環境つくりにある。要は親離れと子離れであるが、それが出来なかったからこそ今日の問題が存在する。
昔(まぁ、団塊の世代が集団就職をしていた頃ぐらいまで)ならば親族や地域などの「血縁・地縁」による共同体が、その部分を担っていた時代もあった。
不本意とはいえ引きこもる子に既知を頼って(悪い言い方をすればコネで)職を与え、与えられた職場が責任と社会を教える事もできた。この頃は(乱暴ではあるが)狭い範囲で問題を解決できたのだ。
しかししらけ世代の個人主義蔓延、バブル世代のドリーム志向、バブル崩壊とグローバル化による極端な実力社会化(いわゆるコネ就職の否定)および企業人育成力の崩壊、さらには自己責任主義の蔓延、社会の高度化による求められる人材の狭小(パターニング)化あるいは万能化などで、今となっては、それらは完膚なきまでに否定・解体されている。
祖父母世代が頼りにし、親世代も頼れと教えられてきたシステムは、他ならぬ親世代ないしは子世代によって無自覚に叩き壊されてもはや機能していない。
であるならば、各種行政やNPO法人を頼り、外部に協力を要請するより他にない。子供に働けない要因が存在するならば、治療か、生活保護か、あるいは患いながらも働ける環境を探すことであり、これも自力のみで達成することは難しい。
もはや問題は親子や家族・親族・地域の関係性では解決ができない社会状態である事を、当事者本人のみならず社会そのものがきちんと認識する必要がある。
いつか雛には巣立つ日(あるいは生まれた巣を親の力ではなく自らの力のみで支えねばならぬ日)が来る物であり、そうでなければ巣が雛と親鳥の重さで崩壊しかねない。
恥や諦め、長年保持し続けた関係性があるかも知れないが、それが原因で心身共に負担を抱えており、またそれを解消したいと思った場合、有無を言わず外部に助けを求める方が良いし、社会側もそれを見つけて対策を取れるリーチアウトを整備する必要がある。
人は神ではないし、決して親と子も絶対ではない。
子供が可愛いのであれば、なおのこと。
2043年、荒川誠は
「まんこください!まんこください!」
「ケイサツイクイク!ソショウソショウ!」
2043年。50代となった荒川誠は、
未だ、ネットで荒らしと工作を繰り返していた。
「誠!うるさい!今、何時だと思ってる!」
「近所の人の迷惑を、考えんか!」
父、和夫が荒川誠を叱る。
「ちっ」
父、和夫に叱られた荒川誠は、
舌打ちし、和夫を睨み付けた。
そして、八つ当たり的に、壁を殴りつけた。
和夫は、限界だった。
9年前、妻に先立たれた。
年金だけでは、到底生活出来ず、
家事も、仕事も、1人で全て
しなくてはならなくなった。
現在80代。肉体も、心も
ボロボロだった。
だが、荒川誠は、家事も、仕事もせず、
ただ、朝から晩までネット荒らし。
ストレスが溜まれば、壁や、家具を破壊する。
こんな生活が、もう何年も続く。
以前、荒川誠は、非正規の仕事を、
転々としていた。
しかし、2021年、
「バンド活動に注力する」を、理由に、
非正規の仕事さえ、就かなくなった。
2年後の、2023年。
荒川誠は、所属していたバンド「Seeping Protoplasm」(シーピング・プロトプラズム)の、
メンバーと、トラブルを起こし、脱退。
脱退後は、ネット上でメンバーへ八つ当たりし、
恨みを発散させていた。
夕方。目を覚ました荒川誠は、
いつものように、大声で怒鳴る。
「親父!飯!」
いつもなら、和夫が食事を持ってくる。
しかし10分経っても、和夫は荒川誠の元に来ない。
「飯つってんだろ!おい!持って来い!」
荒川誠は、より大声で怒鳴る。
しかし、和夫は、来なかった。
「ドン!ドン!ドン!ドン!」
荒川誠は、怒りに任せ壁を殴る。
壁を殴り続けること5分、
食事を持って来ない和夫に、
違和感を感じた荒川。
だが、統合失調症による被害妄想が、
以前から悪化していた荒川はこう考えた。
「俺を置いて、夜逃げしたに違いない」
荒川誠は、腹いせに和夫の部屋を荒らすため、
和夫の部屋に向かった。
和夫の部屋のドアを開けた荒川誠。
彼が目にした物は、和夫の遺体だった。
和夫は、ストレスと肉体的負担が蓄積し、
亡くなっていたのだ。
ようやく、状況を理解し、唖然とする荒川誠。
荒川誠はどうして良いか、判らなかった。