概要
イギリスの女優・脚本家のフィービー・ウォーラー=ブリッジが広めた(発案者かは不明)とされる理論で、TVドラマ『フリーバッグ』のムック本である『The Special Edition』に収録されている、女性舞台演出家ヴィッキー・ジョーンズとの会話に登場する。
その"理論"とは
「あるシーンで突然ニンジャが現れて、全員と戦い始める方が面白くなるようであれば、それは十分によいシーンとは言えない」
という、脚本家の心構えや一種のノウハウである。
「ニンジャ」というワードに気を取られそうだが、別にこれは時代劇や忍者を題材とした物語に限った話ではなく、ストーリー途中で脈絡なく登場した乱入者が全てかっさらう、もしくは突如リセットするという状況に、元々の物語の面白さが敵わないようであれば、確かにその物語を作り直した方がいいかもしれない、というものである。
内容的には『デウス・エクス・マキナ』や『爆発オチ』の亜種と言えよう。
SNSでの反響
日本でも2020年にTwitterで拡散され広まったが、サイバーパンク小説『ニンジャスレイヤー』がミームと化している日本では「そんなのどんなシーンだってサプライズニンジャが面白いに決まってんだろ!」というツッコミが入れられており、むしろ意味を逆転させて「どんなシーンでもニンジャを突っ込ませればそれなりに面白くなる」という力押し的な運用方法のほうが現実的では? という認知の方が広まっている。
ただ、もちろんそんな事はない。
例えば、あなたが毎回楽しみにしている連載漫画(もちろんニンジャが出て来ない物)を一つ思い浮かべて欲しい。
前回はとても良い所で終わり、次の話をずっと楽しみにしていた。今回はどんな物語が読めるのだろう。ワクワクしながらページを開く。そこには、あなたが好きな登場人物を全員殺害し、物語を破壊するニンジャの姿があった。
「ニンジャに全員殺されたので打ち切りです。ご愛読ありがとうございました!」
……これを読んで「こっちの方が面白いに決まってんだろ!」と思えるだろうか?
ファン以外の人間からは「忍者が突然出てきて終わった作品www」などと持ち上げられるかもしれないが、ファンにしてみればふざけるな、としか言いようがないだろう。
SNSで「ニンジャが出て来た方が面白いのでは?」と考えられたのは、それがSNS上の二次創作だから、言い換えれば一次創作が別にあるからである。
先の例で言えば、「今回のニンジャ話は作者の息抜きの番外編です。次回は通常の話に戻ります」と書いてあったとしたら「まあそういうものか」と受け入れやすいだろう。内容次第では笑う事が出来る筈だ。
ネットで語られている(誤った)サプライズニンジャ理論はこちらである。
しかし実際には、ニンジャはストーリー本編に登場し、なかった事にはならない。ニンジャに殺された登場人物は生き返らない。投げっぱなしの打ち切りと思う人がほとんどだろう。
それでも「先のストーリーよりニンジャの活躍シーンを読みたい」と思う人が多ければ? それは良い物語とはいえないだろう。
これこそが、サプライズニンジャ理論である。
実例
実は、日本においてはこのサプライズニンジャ理論を、ニンジャ以上にわかりやすく説明出来る作品が存在する。突然の打ち切り終了が発生する度にネットで話題になる、打ち切り作品の代名詞。
そう、ソードマスターヤマトである。
ギャグ漫画の傑作・ギャグマンガ日和の一編として描かれたこの作品は、ネットでミームになるほどの作品であり、それだけ読めばとても面白い。だが、それはあくまでこれが短編だからである。
これまで普通に連載して来た連載作品が、ヤマトのような急展開のような打ち切りを迎えたら、ファンとしては面白いなどとは言えないだろう。と言うか実際に、それで読者ががっかりしたり、ネットがプチ炎上した作品は枚挙に暇がない。
一方で、元々つまらなくてファンが少ない作品や、惰性で読んでいる読者がほとんどの作品(例えば週刊少年ジャンプの短期打ち切り作品)だと、ヤマト展開でもむしろ「最後に一花咲かせた」等と受け入れるファンが多かったりする。
こうしてみると、ヤマト展開はニンジャ(乱入)こそ出て来ないものの「突然の急展開で伏線が全て破壊されて打ち切り」「そのシーンだけ切り取れば面白い」「面白い作品がこれで打ち切りになったらファンは納得できない」「だが、つまらない作品なら納得されてしまう」と、サプライズニンジャ理論に非常に近しい事がわかるだろう。
そしてサプライズニンジャが実際に登場する作品は(多分)ないが、サプライズヤマトが実際に発生した作品は少なからず存在する(ソードマスターヤマトの記事も参照)。この理論を、机上ではなく実例で理解する事が出来ると言う訳ある。
類似例
なお浄瑠璃や歌舞伎の世界では、展開や舞台設定に一切関係のない"大人気キャラクター"の源義経が「現れ出たる義経公!」の声と共に唐突に現れ、「さしたる用もなかりせば、これにて御免」とただ引っ込む(地方や伝承によっては加藤清正であったり、しばらく一緒に劇を見たり、客が声をかけて義経を下がらせたりとバリエーションがある)演出が一般的に行われていた。
「さしたる用もなかりせば」と呼ばれるこの演出は、物語に夢中な客からすれば興醒めになりそうなものだが実際はたいへん好評で、単調になりがちなシーンでも観客がドっと湧いてくれるという、たいへん使い勝手の良いネタであった。特に義経人気が絶大な東北地方では必ず台本に組み込まれており、なかなか義経が出てこなければ客の方から声をかけて呼ぶ始末であったという。
もっともこの演出は、あくまで本筋を邪魔しない挿入である。
いわばアイキャッチ的な物で、義経は物語に介入せず、帰った後は普通に本筋が再開される。
そのためむしろ、前述した「ネットで語られている誤ったサプライズニンジャ理論」の例に近い。
サプライズニンジャ理論で問題になるパターンは、「登場した義経が、これまでの筋書きを無視して突然登場人物に戦いを挑む」と言うもので、流石にこれは観客もブーイングであろう。
出典
- はてなブログ:『サプライズニンジャ理論』のルーツがわからずモヤモヤしていたので調べた
- Togetter:物語制作において重要な「サプライズニンジャ理論」とは?「突然忍者が現れ全員をやっつける、より面白くないならそのシーンはダメ」)